« 天皇の「聖性」 | トップページ | リージョナルコンプレックス(その1) »

2016年12月22日 (木)

律令制度と中臣神道

律令制度と中臣神道


わが国の現在の神道は、藤原不比等が物部神道に道教の祓いの思想によって改良をくわえ て大改革をしたものである。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yamatai07.pdf

梅原猛がその著「飛鳥とは何か」(1986年6月、 集英社)で述べているように、 記紀神話は、藤原不比等の「祓いの神道」によって作成された神 話である。

「祓いの神道」は、記紀神話を基盤としながら現在見るような神道の形式を整えていく。 この中では中臣氏の功績がもちろん大きい。藤原不比等の時代、彼は一族を二つの流れに 分割した。即ち、政治を司る 不比等の子孫を藤原姓とし、他を元の中臣姓に戻し、神祇 を司らせた。中臣氏は祭祀を職とする氏として歴史に登場する。中臣の姓に戻って神祇を 司ることは一 族の誇りでもあった。奈良、平安時代は藤原氏の権勢の許、中臣氏は精力 的に、中臣神道がそれ以外の神祀りを駆逐して日本神道の本流となるべく努力した時代 だった。

中臣氏は諸国の神社祭祀を画一化していく。神社に参ると神主が紙垂を沢山束ねた大麻を振って私たちの不浄 を祓い浄めてくれる。祓い浄め、実はこれが中臣神道の真髄なのである。鏡は天照の御魂 である。

義江彰夫氏は「神仏習合」(岩波新書)の中で、次のように述べている。

律令制度は土地改革の意味もあり、全国の土地をいったんは国のものとしてから、あらためて百姓に配分し、その土地から得られた収穫のうち一定の量を中央に戻すというシステムであった。一見きわめて理詰めのシステムのように思えるが、税という概念を一般民衆が理解していたかとなると、どうにも心もとない。これでは税の徴収はままならなくなる。では、いかにして朝廷は民衆から効率的に、かつまた穏便に取り立てを行なったのであろうか。

ここに、「神」が介在した。

国家から地方へ広がる中臣神道のネットワークを通じて、神の霊力を宿した種籾(たねもに)が百姓に配られ、彼らの自発的な皇祖神への感謝の気持ちを引き出した。それによって、神々への感謝の初穂の名目で、租税を取り立てるようにしたのである。

つまり8世紀に完成した中臣神道は、律令制度を維持するための宗教という側面をもちあわせていたのである。

« 天皇の「聖性」 | トップページ | リージョナルコンプレックス(その1) »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1117507/68944067

この記事へのトラックバック一覧です: 律令制度と中臣神道:

« 天皇の「聖性」 | トップページ | リージョナルコンプレックス(その1) »