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2016年9月16日 (金)

中国伝統文化(その15)

中国伝統文化を考える旅(その15)

第2章 天命政治の成功のために(その3)
第2節 政治哲学(その1) 

1、 晏嬰(その1)

晏嬰(あんえい)は「社稷(しゃしょく)の臣」である。「社」は土地の神、「稷」は五穀の神のことで、どちらも国家にとって重要な守り神ということから、「社稷」は国家や朝廷という意味である。

「社稷」がいわば農業神の祭祀と考えると、古代においては事実上天下国家であるとか民の生活であるとかに当たるのではないかと思う。
つまり「社稷の臣」とは、「天下の民を優先して考える臣」であり、それはそもそもの由来からして「君主よりも天下万民を優先する臣」という意味合いを含んでいるということらしい。

しかしながら、実は、それと矛盾するような解釈もまた存在していたらしい。

前漢文帝の時、呂后の一族を排除する上で重要な働きをした周勃は文帝からも極めて鄭重な扱いを受けていたが、袁盎なる人物はそれに対してこう進言した。

『 丞相周勃は「功臣」ではあっても「社稷の臣」ではございません。「社稷の臣」というのは主君と共にあり、主君が滅べば共に滅びるような存在です。呂后の時代、劉氏の天下が危うくなりながらもそれを正すことが出来ないでいた周勃は「社稷の臣」ではないのです。そんな者に対して謙譲するというのはよろしくありません』

袁盎によれば「社稷の臣」とは主君と共に生き主君と共に死するような者であるらしい。

晏嬰の場合は、両頭截断されていて、国民第一であると同時に主君第一であったようだ。国民第一とか主君第一とかのこだわりはなかったようだ。国民の生活が潤っていなければ、それは自分の責任だ、と言っている。つまり、君主が悪ければ、それは自分の責任だ、と考えているのだ。何事も人のせいにしない生き方というのは素晴らしい。
両頭截断:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/ryoutou.pdf

晏嬰は、中国春秋時代の政治家である。 晏子とも尊称される。

斉に仕え、景公の代では宰相としてその隆盛を担った。 社稷の臣であることを第一とし、誰に憚ることなく諫言を行なった。 その私心のない姿は斉の民衆から絶大な人気を誇ったとされる。 史記おいて司馬遷は「晏子の御者になりたい」とまで語り、孔子は「晏平仲、善く人と交わる。久しうして人これを敬す(晏平仲の人との交わり方は素晴らしい。交友した人々は皆、いつのまにか晏嬰を敬し親しむようになる)」と評している。
主君・景公は心から晏嬰を尊敬し、晏嬰は心から景公を愛した。晏嬰が危篤に陥ったのを知らされた時の景公の取り乱したエピソードは、すでに紹介してあるが、このような事例は中国の歴史上あったであろうか。それほど晏嬰という人物は偉大な人物である。それでは以下において、いくつかの注目すべきエピソードを紹介しておきたい。

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