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2016年9月13日 (火)

中国伝統文化(その12)

中国伝統文化を考える旅(その12)

第1章 道教文化(その9)
第3節 道教の面白さ(その6)
2、 崂山太清宮(その3)

さて、 崂山太清宮とは離れるが、山東省淄博(しはく)市の「殉馬抗(じゅんばこう)博物館」に触れておきたい。 殉馬抗(じゅんばこう)博物館」 は、景公の墓地にあるが、すぐ近くに晏嬰の墓もある。景公はきっと死んでからも晏嬰の近くに居たかったのだろう。次の章で述べる晏嬰(あんえい)の伏線として、崂山太清宮に出かけた際には、是非、「殉馬抗博物館」にも足を伸ばしてほしいからだ。 青島市から淄博市に行くには長距離高速バスがある。所要時間はおおむね3時間半である。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/tabi13.gif 

( http://www.terra.dti.ne.jp/~senna444/xunma.htm による)



山東省淄博市に、殉馬抗博物館はある。館内のガラス張りの下には、累々とした馬の骨格が横たわる。この異様な景観は、 山東省の大半を領した「斉」国の第26代君主 景公を祀ったお墓の一部であり、亡き王を見守るように、馬をその墓の外周に配したものとされている。 
  
 景公が馬好きであったため、かわいそうなことに約600頭の馬が景公とともに埋葬された。馬の数が一国の戦闘力の決め手となる時代、これだけの馬を一人の王のために殉死させる当時の「斉」国の豊かさに想いを馳せてほしい。景公は宰相として晏嬰を据え、黄金期を迎える。
景公は、贅沢を好んだ暗君として史書に描かれることが多いものの、晏嬰の影響で、孤児や老人・寡婦などを国が養うなど、 社会福祉の意識があり、当時としては画期的ともいえる善政を施している。

次の章で述べるが、晏嬰は人は良いけれどできの悪い景公を一生涯命をかけて教育した。晏嬰は景公を心から愛した。そのことが判っている景公は心から晏嬰を敬ったのである。
晏嬰は長寿の人である。 しかし、紀元前500年、80歳を超えた時に死んだ。
晏嬰が危篤に陥ったのを知らされたのは、景公が「渤海湾」の浜辺で遊んでいた時のことであった。その知らせを聞いて、すぐに馬車へ飛び乗り臨淄(りんし)の晏嬰邸に急ぐよう に命じたものの、馬車のスピードが遅いとすぐに焦れて、御者から手綱を奪い馬を駆けさせた。それでも遅いので、今度は馬車を降り自ら走り出した。しかしな がら馬車の速さに及ばないことが分かると、今度はまた馬車に乗るなど、大いに取り乱した。一刻も早く晏嬰に会いたい一心で、その後も自ら走ったり馬車に 乗ったりを繰り返したとか。晏嬰のもとにようやく辿り着いた時には、残念ながら晏嬰は既に亡くなっており、景公は亡骸にすがりつき泣き崩れたのである。






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