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2016年8月 5日 (金)

シャングリラ(その33)

シャングリラ(その33)
第3章 政治改革・当面の課題(その5)
第2節 チベット仏教とは(その2)
2、チベット仏教の価値(その1)

チベット仏教と日本の仏教との違いの主要な点は、まず経典の数にある。

チベット仏教のほうがインドに近かったために日本よりもはるかに膨大な数の経典がもたらされ、サンスクリット語から直接チベット語に翻訳された。その正確さと現在まで残っている量の多さは、日本仏教をはるかに超えている。
しかもオリジナルであるサンスクリット語の経典がすでに消滅していることも多いので、チベット語版というのはとても貴重なのである。

法華経、華厳経、浄土三部経、大日経・金剛頂経、般若経などが日本の仏教のメインである。チベットにも当然これらのお経は現存するが、決してメインではない。そこらへんが2つの仏教の大きな違いであろう。

一方、チベットはインドに留学して仏法を師匠から直接学んでくるチベット人も多かったので、お経の解釈体系も実に豊富である。しかもその教えの系譜は現在に 至るまで途絶えることなく、多くの優れた学僧や博士を世に出している。しかも実際に修行をやった結果、優れた行者が数多くいる点がある。

違いの二つ目は、戒律に対する考えの違いがある。

日本には現在、比丘戒や沙弥戒といった釈尊の時代から続く戒律の流れがない。鑑真和上が唐からもたらした戒律は日本の長い歴史の中で途絶えてしまった。大きな原因は天台宗(最澄)が創始した大乗戒壇だが、たとえば僧侶が妻帯したりお酒を飲むといったことは「律経」(釈尊が規定した戒律)からは考えられないことであったが、これが日本仏教の世界でも類を見ない特色になってしまうのである。チベットでは現在でも戒律(説一切有部)の系譜は途切れることなく続いている。

違いの三つ目は、密教の存在と研究・修行の程度の違いである。

日本では真言宗と天台宗が大日経・金剛頂経に依拠した密教の法脈があるのみだが、チベットでは古訳派、新訳派ともに膨大な量の密教経典とその灌頂の法脈が現在にまで伝えられている。なんていっても底辺が違いすぎるのである。

違いの四つ目は、「宗派」という概念が異なるという点だ。

日本では同じ仏教であるにも関わらず、たとえば浄土宗の僧侶は真言宗では教えを受けないし、日蓮宗が天台宗に教えを受けに行くこともない。セクト間 の争いはあっても交流がないのが日本仏教の奇妙な部分だが、チベット仏教ではこういうことはない。自由に交流はあるし、学問的な論争はセクト 間ではあるけれど、教えを学ぶのに宗派間の壁というのは日本ほどはないのである。
1つの宗派で特定の経典だけを重んじるというのが日本仏教だが、チベット仏教では中観、唯識、律部、般若と幅広く仏教の経典を学びさらには密 教へと進むのである。宗派間で細かい見解の違いは多少あるが、仏教のベースは同じなので宗派間で切磋琢磨して学問を深めることができる。


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