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2016年7月17日 (日)

シャングリラ(その14)

シャングリラ(その14)
第2章 中国という国(その1)
第1節 概要(その1)

現在、民主政治が理想の政治形態だというのが私たちの常識になっているようだ。しかし、果たして民主政治が理想の政治形態であろうか。民主政治の対極にある政治形態として中国における天命による政治形態があり,これもなかなか捨て難い政治形態である。 http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/hutatuno.pdf

天命思想による政治、それが中華のあるべき政治である。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/tenmeiseiji.pdf

漢民族の文化は劉邦の建国した漢王朝から始まるが、劉邦は天命というものを深く信じた偉大な人であったが、さすが劉邦の子供には立派な人が多く、特に、劉盈(りゅう えい)と劉肥の兄弟愛には特筆すべきものがある。劉肥の母・曹氏はその出自が伝わらないほど取るに足らぬ存在だったが、それでも劉肥は高祖の長子にして恵帝( 劉盈、 劉邦の次の皇帝)の兄であり、呂太后(呂 雉<りょ ち>は劉邦の死後皇太后となる)にとってその存在は心安らぐものではなかった。紀元前193年、劉肥は長安の宮廷に参内、その儀式一切が無事終了した後、恵帝と呂太后に宴席に招かれる。この時恵帝は「宮中では、皇帝と臣下ということで、何かと堅苦しいものになりましたが、今は身内だけなので、もっと打ち解けたものにしましょう」と言って、高祖の長子である劉肥が恵帝の上座に座ることとなった。しかしこれが呂太后の不興を買ってしまう。劉肥はそうとは知らずに毒入りの酒を飲まされそうになるが、この時は恵帝のとっさの機転で(恵帝自らが毒杯を手にとることで、劉肥に飲ませなかった。恵帝が毒杯を手にしたことに呂太后はあわてて、これを捨てさせた)難を逃れた。後にこのことを知った劉肥は臣下の助言に従い、その領地から城陽郡を呂太后の娘で、自身の異母姉妹にあたる魯元公主の化粧領として差し上げたいと願い出て、これでやっと呂太后の歓心を買い難を逃れることができた。

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