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2016年7月22日 (金)

シャングリラ(その19)

シャングリラ(その19)
第2章 中国という国(その6)
第2節 宗教について(その4)
3、毛沢東の宗教観(その1)

最近、北京で出版された一冊の本は、内外から注目された。本の題名は「私の知っている毛沢東」(中国語原題「我所知道的毛沢東」中央文献出版社刊)、著者は毛氏の元秘書林克という人物だ。

 この本によれば、共産党政権が支配後間もなく、毛沢東は仏教史の専門書がないことに驚き、関係機関の責任者を呼びつけ大きな声で叱ったそうだ。知名度の高い学者達を集め仏教史を研究するように指示し、具体的にいつ頃までに本を出さなければならないのかを命じたという。

 仏教史に決して無関心ではなかった毛沢東が自ら起こした文化大革命で、あらゆる宗教に空前の弾圧を行なったのはなぜだろうか?身近な秘書にも、信仰を持 つ宗教家が一番尊敬できると何回も言い残した毛沢東は、なぜ自分の意志に反して中国の宗教を無差別に破滅しようとしたのか?残念ながら、この本を読むかぎ りでは明快な答えが出てこない。そこで、私は、毛沢東がなぜ自分の意志に反して中国の宗教を無差別に破滅しようとしたのかを考えてみた。
天皇は、いっさい政治に口出しはしない。そういう意味で天皇には政治的権威はない。しかし、天皇には権威がある。その権威はもちろん宗教的権威ではない。それでは、その権威を何と呼べばいいのか? 私は、それを政治的権威と呼ぶこととしている。

毛沢東は 、絶対的権力を志向したため、宗教的権威のみならず政治的権威をも認めなかった。宗教心がまったくなかった訳ではなかったようだが、宗教家ではもちろんなかったので、宗教的権威者ではない。何事も恐れない絶対的権力者として君臨した。そこで、毛沢東は、無神論の立場をとらざるをえなかったのだ。私はそう思う。

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