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2016年7月23日 (土)

シャングリラ(その20)

シャングリラ(その20)
第2章 中国という国(その7)
第2節 宗教について(その5)
3、毛沢東の宗教観(その2)

毛沢東の働きかけか、あるいは毛沢東が無視論の立場を取っていることを知っている側近の人たちが働きかけたのかはわからないが、「批林批孔運動」という林彪と孔子を批判する猛烈な運動が1973年から1976年まで中国で巻き起こる。毛沢東一派が政敵林彪一派を葬り去ろうという権力争いがその本質であったかもしれないが、権力争いが激しければ激しいほど、思想的なものが必要となる。それが孔子批判なのである。林彪は孔子の「克己復礼」や「中庸の道」などを高く評価した。「批林批孔運動」では、法家を善とし儒家を 悪とした。
法家とは儒家の述べる徳治のような信賞の基準が為政者の恣意であるような統治ではなく、厳格な法という定まった基準によって国家を治めるべしという法治思想の立場である。法治思想は、秦が滅びた後の漢王朝や歴代王朝に受け継がれていった。

したがって、秦の始皇帝、前漢の高祖・文帝・景帝、曹操、諸葛亮、武則天、王安石、李贄(李卓吾)らは善人で、それらと同じ思想の毛沢東も善人というわけだ。それに対して、孔子、孟子、司馬光、朱熹らは悪人で、それらを高く評価する林彪は悪人というわけだ。
そうした運動の結末として、林彪は追い落とされたのである。

「批林批孔運動」の延長線上に、文革(1966年~1976年)がある。文革は、名目上、「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」という政治・社会・思想・文化の改革運動だった。しかし実際は、大躍進政策の失敗によって政権中枢から退いた毛沢東が自身の復権を画策し、民衆を扇動して政敵を攻撃させ失脚に追い込むための、中国共産党の権力闘争であったのである。

この説の冒頭に述べたように、 毛沢東は 、絶対的権力を志向したため、宗教的権威のみならず政治的権威をも認めなかった。宗教心がまったくなかった訳ではなかったようだが、宗教家ではもちろんなかったので、宗教的権威者ではない。何事も恐れない絶対的権力者として君臨した。そこで、毛沢東は、無神論の立場をとらざるをえなかったのだ。

関羽が神として祀られている関帝廟は、横浜にもあり、私たちにもおなじみの道教の寺院であるが、毛沢東廟は、日本にはもちろんないし、中国でも非常に珍しい。しかも、毛沢東廟で毛沢東は神として祀られているのではなく、人間として祀られているという点で、誠に面白い。毛沢東は無神論の立場をとって、それが現在の中国の中央政府にも引き継がれている点を考えると、毛沢東廟は、ただ単に面白いというだけではなく、現在の中国の中央政府が無視論の立場を取り続けていることを実感することのできる貴重な事例である。その事例は、次をご覧ください。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/takubyou.pdf


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