« 日中友好親善(その12) | トップページ | 明恵(その14) »

2016年6月17日 (金)

周恩来(その2)

周恩来(その2)

周恩来という人物(その1)

日本の大恩人・周恩来について私の考える核心部分は次の通りである。すなわち、

『 周恩来は江蘇省淮安の官僚地主の家に生まれた。周恩来が13歳となった1911年、辛亥革命が起きる。翌1912年、清朝が崩壊し、中華民国が建国された。1913年、周恩来は天津の南開中学校に入学し、革命の息吹に触れる。』

『 南開中学卒業後の1917年に、日本に留学。日本語の習得不足により第一高等学校と東京高等師範学校の受験に失敗し、東亜高等予備学校(日華同人共立東亜高等予備学校)、東京神田区高等予備校(法政大学付属学校)、明治大学政治経済科(旧政学部、現政治経済学部)に通学。日本滞在中の様子については、『周恩来 十九歳の東京日記』が最も正確で詳細な記録である。』

『 1918年、留学生の一斉帰国運動が起き、一旦中国に帰るが、再来日。帰国前の数ヶ月については記録もなく、よくわかっていない。苦渋の中で、酒に 溺れがちだったという説もある。やがて、母校の南開学校が大学部を創設するということを知って、帰国を決意した。』

『 船に乗るために神戸に向かう途中、京都の嵐山に寄って歌った詩「雨中嵐山」は、嵐山の周恩来記念碑に刻まれている。』

『 1919年4月に帰国し、南開大学文学部に入学。その直後に中国近代史の起点となる五・四運動が起きる。周恩来は学生運動のリーダーとなって頭角を現していく。』


« 日中友好親善(その12) | トップページ | 明恵(その14) »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1117507/66060223

この記事へのトラックバック一覧です: 周恩来(その2):

« 日中友好親善(その12) | トップページ | 明恵(その14) »