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2016年6月16日 (木)

明恵(その12)

明恵について(その12)
(3)河合隼雄の「明恵夢に生きる」(その4)
 華厳哲学において、「性起」の意味を理解することは重要であるが、井筒俊彦によれば、一番大切な点は、それが挙体「性起」であるという。つまり、井筒によれば、「理」は、如何なる場合でも、常に必ず、その全体を挙げて「事」的に顕現する。だから、我々の経験世界にあるといわれる一切の事物、そのひとつ一つが、「理」をそっくりそのまま体現している・・・・井筒はこのように言っている。 

 河合隼雄の説明はさらに続くが、ここではこの程度の紹介にとどめておきたい。再度申しておきたい。近代科学は、普遍性を求めるものであり、したがってあらゆる存在の明確な区別、言い換えれば、関係性の截断が必要である。華厳宗というものは、そういう近代科学の原理とは全く違うことをやったのであり、近代科学が否定した関係性を重視する。全関係の総和としての存在というものは、名前がつけられないから「無」と言わざるを得ないが、華厳宗ではそれを「挙体性起(きょたいせいき)」という。生け花というものは、存在が挙体性起(きょたいせいき)するもっともいい形を求めるものであり、そういう意味で、「存在が花している」のである。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/mayame42.html

こういう日本文化の存在論からすると、存在の現れとしてそこに花がある。すべてのものは存在から出てきた。私は、存在が岩井國臣しているのである。
註:上記は、かって私が書いた「挙体性起(きょたいせいき)」についての文章である。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/kyotaise.html

さあ、それでは河合隼雄の「明恵夢に生きる」の勉強の始まり、始まり! !
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yumemoku.html

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