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2016年6月19日 (日)

日中友好親善(その14)

日中友好親善(その14)

おわりに(その3)

交流とは、相手の立場になって考えるところにその哲学的な意味合いがある。したがって、文化交流は、相手の人の日々の生活を支えている相手の人の生活している国又は地域の文化を理解し尊重するというところにその哲学的な意味合いがある。

人々との交流の中で人々の気持ちにも気を配りながら、権威にへつらうことなく、世の中すべてのものを自分を取り巻く環境として受け止め、あくまでも自分自身の考えと意志で行動する、それが尊厳を生きるということだ。これは自立した自己を生きると言い替えても良い。

目まぐるし移り変わる社会において、自立した自己を生きていると、ふらふらすることなく、安定した人生を送ることができる。不安のない人生ということだ。

自立した自己を確立する、そのためには、独善に陥ってはならず、できるだけ文化の違う人たちとも付き合って、より客観的な感覚を身につける必要がある。特に、現在のようなインターナショナルな時代をおいては、異なった文化を持つ他国の人たちと交流するのがいい。中国好きの私としては、中国人との交流を深めたいと願っている。また、靖国問題は、日本の純然たる国民問題としてどうしても解決しなければならないと考えている。草の根レベルの日中友好親善のための交流と靖国問題の国民世論への働きかけ、それらのために微力ながら私としてできる限りの努力をしたいと思っている。

日本と中国とが世界をリードする立派な国になるため、日中友好親善がもっともっと深まることを心から願いながらこれからもいろいろと書いていきたい。最新の記事は次の通りである。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/nityuusaisin.pdf

また、この論文に書いたこと以外にも中国の伝来文化と関係のある事柄は多く、この論文に書ききれなかった。さらに、この論文に書いたことについても、さらに詳しいことを知りたい場合もあるだろう。それらについては、適当はキーワードで、私のホームページ内検索エンジンで検索してもらいたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/

例えば、論文の中に日米同盟という言葉が出てくるが、それで検索すると、70ほどのファイルが検索される筈だ。似たような内容のファイルも多いが、主なファイルを読んでいただくと、日米同盟に関する私の考えを深く知ることができるだろう。

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