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2016年6月19日 (日)

明恵(その15)

明恵について(その15)
(5)なぜ明恵なのか? (その1)

日本の仏教は、奈良仏教を原点として、その後、平安時代には天台宗と真言宗が勃興し、鎌倉時代には真宗、浄土真宗、禅宗、日蓮宗が勃興した。それらの新しい仏教は、当然、それを生み出した時代背景があり、それが生まれでてきた歴史的必然性があるのだが、奈良仏教がもはや時代の要請にあわなくなったということではない。
 現在、世界は混沌の時代に入っている。世界は新しい秩序を求めて目まぐるしく変化している。新しい哲学が必要であり、新しい思想が必要である。そして、人びとの生活を律する宗教が必要になってきている。
 私は、日本の「歴史と伝統・文化」の心髄は、「違いを認める文化」だと考えている。河合隼雄は、心髄がないのが・・・日本の「歴史と伝統・文化」の心髄だと言っていたが、私はそうは思わない。もちろん、これからの研究が必要であり、学者の先生方に期待するところが大であるが、もし私の言うとおり、日本の「歴史と伝統・文化」の心髄が「違いを認める文化」だとしたら、これは大変なことで・・・、世界における・・・哲学や思想や宗教に大きな影響を与える可能性がある。学者の先生方に頑張って欲しい。しかし、素人ではあるが、私なりに勉強して、その勉強ぶりをこのホームページで世に問いたいと思うのである。皆さん方のご意見やら感想やら、おおいに叱咤激励をいただきたい。

 日本の仏教は、奈良仏教を原点として、その後、平安時代には天台宗と真言宗が勃興し、鎌倉時代には真宗、浄土真宗、禅宗、日蓮宗が勃興した。そして、そのつど、奈良仏教と激しい宗教論争があった。ひとつは、最澄と徳一の宗教論争だし、もうひとつは、法然と明恵の宗教論争である。私は、日本の「歴史と伝統・文化」の心髄が「違いを認める文化」だという立場で、それぞれ徳一と明恵に軍配を挙げているのだが、今まで、徳一については、かなりの時間をかけて勉強してきた。徳一は、興福寺(法相宗)の代表である。しかし、奈良仏教を語るのに、東大寺(華厳宗)を語らないで何を語るのか・・・。政治はもちろんのこと、仏教教義の面でも、歴史的に、明恵は絶対に欠かせない人である。

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