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2016年6月 8日 (水)

明恵(その4)

明恵について(その4)
(2)象徴天皇の源流 (その2)
 さて、西欧型革命の祖型は、体制の外に絶対者(神)を置き、この絶対者との契約が更改されるという形ですべてを一新してしまう「申命記型革命」である。  ! この場合、それは、現実の利害関係を一切無視し、歴史を中断して別の秩序に切り替えるという形で行なわれるから、体制の中の何かに絶対性を置いたら行ない得ない。従って革命はイデオロギーを絶対化し、これのみを唯一の基準として社会を転回させるという形でしか行ない得ないわけである。 
 体制の内部に絶対性を置けば、それは、天皇を絶対としようと幕府を絶対としようと、新しい秩序の樹立は不可能である。 ! 体制の内部に絶対性を置きながら新しい秩序を樹立することはできない。しかし、新しい秩序を確立しなければならない。古い秩序の継続と新しい秩序の創造、この矛盾をどう解決するか。
そこで明恵の思想・「あるべきようは」が光り輝いて来るのである。
 明恵のユニークさというのは、国家の秩序の基本の把え方にある。明恵は「人体内の秩序」のように、一種、自然的秩序と見ているのである。明恵に本当にこういう発想があったのであろうか。この記述は史料的には相当に問題があると思われるが、以上の発想は、明恵その人の発想と見てよいと思う。というのは、「島へのラブレター」がそれを例証しており、このラブレターの史料的価値は否定できないからである。 

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