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2016年6月30日 (木)

明恵(その21)

明恵について(その21)
(7)明恵のふるさと

 明恵の母は、藤原氏の流れを汲む湯浅氏である。由緒正しき血統だが、それだけではない。歓喜寺がまあいってしまえば家みたいなもので、明恵は歓喜寺で産まれた。 ! 歓喜寺は、比叡山横川の恵心僧都(源信げんしん)が熊野参詣のため紀伊に下向し、この地に九品の浄土を感得し、衆生済度の請願をたて、寛和二年(986年)に開基。浄土念仏の信仰が本郡に入った最初の道場である。かつては境内八丁四方にわたり、九品浄土を模し、上品堂、中品堂、下品堂、その他諸堂、善美を尽くしていたが、保元の頃、衰微してたのを明恵上人の寂後、地頭湯浅宗氏が「この地は上人の誕生地である。」とて、上人の遺弟、義林坊喜海を迎え中興し、歓喜寺と称した。湯浅家の庇護のもとに、受領松誉素川が再興し浄土宗となり、今日に及ぶ。

 そのように、歓喜寺は、恵心(えしん)僧都(源信げんしん)とも深いつながりがある由緒正しき寺である。そういう環境に育った明恵の母は、きっと心優しい素晴らしい女性であったに違いない。明恵は、「仏眼仏母」とでもいうべき・・そういう由緒正しき母の胞衣に護られたまま、しかも繊細微妙な条件を保たれた環境の中に、静かにこの世に産まれでてきた。紀州は有田郡金屋町歓喜寺内・・・有田川の流れをま近に望む高台に明恵は産まれたのだが、そこには国指定の文化財となっている康永三年(1344)の銘文をもつ生誕地を示す卒塔婆(そとば)が現存しているほか、すぐ近くには明恵の胞衣塚があるのである。

 私は先に、「胎児がなにかのベールに護られたまま、繊細微妙な条件を保たれた環境の中に、静かに立ち現れてくる様子を、そっくりそのままとらえようとしたのが「翁」である。」・・・・と中沢新一の言っていることを紹介した。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/iyomyoue.html
明恵は、有田川の畔・金屋の・・・まさに繊細微妙な環境の中で「仏眼仏母」の胞衣(えな)に護られて静かにこの世に産まれ出たのである。

 胞衣信仰についてはすでに述べた。 分娩から三十分以内に胞衣が排出される。庶民の一般的な風習としては、胞衣は屋敷の隅へ埋めるか、墓地の一隅にある胞衣墓に埋めることが多い。胞衣を埋めるのは夫の役目である。埋めたあとはよく踏まないと親のいうことを聞かない子になる、といわれる。また胞衣を埋めた上を最初に蛇が通ると蛇を、毛虫が通ると毛虫を嫌いになると、伝えられている。 庶民の一般的な風習としてはそのようなものであろうが、特別な場合として、塚が作られたり、石碑が立ったりして、それが地域の信仰に繋がる場合がある。もっとも有名なものは、天照大神(あまてらすおおみかみ)の胞衣(えな)が山頂に埋められという例であろう。
その山を恵那山といい、麓に恵那神社がる。その地域を恵那という。恵那山は天照大神(あまてらすおおみかみ)の胞衣(えな)であるが、宇美八幡には「胞衣が浦」という地名が残っているし、上杉景勝(かげかつ)公の胞衣塚、光格天皇の胞衣塚、菅原道真(みちざね)の胞衣塚、牛若丸の胞衣塚など多くの胞衣塚がある。そのひとつが明恵の胞衣塚である。 では、明恵の生誕地を」御案内するとしよう!
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/myouehuru.pdf

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