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2016年6月11日 (土)

明恵(その7)

明恵について(その7)
(2)象徴天皇の源流 (その4)
 天皇は「名」であり武士は「実」である。律令は「名」であり式目は「実」である。「名」を捨てて「実」に従わなければならない。「名」より「実」をとるべきである。それが二元論の常識であろう。「名」より「実」をとるという逆転、裏返しといってもいいが、それが西欧型革命であろう。しかし、明恵の「裏返し革命」は違う。単なる逆転、裏返しではなくて、もういっぺん「否定の否定」をやるのである。「名」ではなくて「実」である。しかし、なおかつ、「実」でなくて「名」である。「名」であると同時に「実」である。「名」でもないし「実」でもない。
要は、流動的知性が重要なのである。
 そのような明恵の教えを、実に生まじめに実行した最初の俗人が、泰時なのである。そしてそれは確かに、日本の進路を決定して重要な一分岐点であった。 ! もしこのとき、明恵上人でなく、別のだれかに泰時が心服し、「日本はあくまで天皇中心の律令国家として立てなおさねばならぬ」と信じてその通り実行したらどうなったであろう。また、「日本は中国を模範としてその通りにすべきである」という者がいて、泰時がそれを実行したらど
うなっていたであろう。日本は李朝下の韓国のような体制になっていたかもしれない。

 完全に新しい成文法を制定する、これは鎌倉幕府にとってはじめての経験なら、日本人にとってもはじめての経験であった。
 律令や明治憲法、また新憲法のような継受法は「ものまね法」であるから、極端にいえば「翻訳・翻案」すればよいわけで、何ら創造性も思考能力も必要とせず、厳密にいえば「完全に新しい」とはいえない。さらに継受法はその法の背後にどのような思想・宗教・伝統・社会構造があるかも問題にしないのである。われわれが新憲法の背後にある宗教思想を問題とせず「憲法絶対」といっているように、「律令」もまた、その法の背後にある中国思想を問題とせずこれを絶対化していた。これは継受法乃至は継受法的体制の宿命であろう。 
 思想・宗教・社会構造が違えば、輸入された制度は、その輸出元と全く違った形で機能してしまう。 新憲法にもこれがあるが、律令にもこれがあった。 ! 中国では「天」と「皇帝」の間が無媒介的につながっているのではなく、革命を媒介としてつながっている。絶対なのは最終的には天であって皇帝ではない。ところが日本ではこの二つが奇妙な形で連続している。それをそのままにして中国の影響を圧倒的に受けたということは、日本の歴史にある種の特殊性を形成したであろう。その現われがまさに泰時である。 ! いわば「天」が自然的秩序(ナチュラル・オーダー)の象徴ではなく、天皇を日本的自然的秩序の象徴にしてしまったのである。これは「棚あげ」よりも「天あげ」で、九重の雲の上において、一切の「人間的意志と人為的行為」を実質的に禁止してしまった。簡単にいえば「天意は自動的に人心に表われる」という孟子の考え方は「天皇の意志は自動的に人心に表われる」となるから、天皇個人は意志をもってはならないことになる。これはまさに象徴天皇制であって、この泰時的伝統は今もつづいており、それが天皇制の重要な機能であることは、ヘブル大学の日本学者ベン・アミ・シロニイが『天皇陛下の経済学』の中でも指摘している。 ! 明恵は、「阿留辺畿夜宇和(あるべきようは)」を座右の銘にしていたといわれている。「栂尾明恵上人遺訓」には、『人は阿留辺畿夜宇和(あるべきようは)の七文字を持(たも)つべきなり。僧は僧のあるべきよう、俗は俗のあるべきようなり。乃至(ないし)帝王は帝王のあるべきよう、臣下は臣下のあるべきようなり。このあるべきようを背(そむ)くゆえに一切悪しきなり。』・・・とあり、貞永式目の精神的バックボーンをなすものとも言われている。この意味するところは、たいへん深いものがあるようだ。


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