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2016年6月10日 (金)

明恵(その6)

明恵について(その6)
(2)象徴天皇の源流 (その3)

 さて、流動的知性というのは、まあいうなれば、一つの考え方にとらわれないで、無意識のうちにもいろんなことがらを勘案しながら、そのときどきのもっとも良い判断をくだすことのできる知性であるといっていいかと思われるが、これはまさに明恵の発想方法・「あるべきようは」そのものではないかと思う。日本では、西洋に比べて、現在なお流動的知性が濃厚に働いていると考えているが、「自然的秩序(ナチュラル・オーダー)」という根源に立ち「国の乱れて穏かならず治り難きは、何の侵す故ぞと、先づ根源を能く知り給ふべし」という明恵の発想方法に今こそ立ち戻らなければならない。

 わが国は、古くは中国、近年は欧米から・・・やむなくいろんな法律をまねしてわが国の法律としてきた。諸外国の法律をまねしたものを「継受法」という。やむなく「継受法」を採用しなければならないのは、もちろん国としての力関係による。幕末・明治(黒船)にも、大化・大宝(白村江)にも、さまざまな外圧が否応なく法と体制の継受を強制したことも否定できない。簡単にいえば、相手と対抗するには相手と同じ水準に急速に国内を整備しなければならず、それは相手の法と体制を継受するのが最も手っとり早い方法だからである。大和朝廷は562年の任那(みまな)の滅亡以来、朝鮮半島で継続的な退勢と不振に悩まされつづけ、さらに隋・唐という大帝国の出現は脅威以外の何ものでもなかった。そしてその結末は、663年の白村江の決定的大敗であった。これらがさまざまに国内に作用するとともに、当時の大和朝廷はすでに、全国的政府としてこれを統治しうる経済的・政治的基盤を確立していたことも、大宝律令を断行し得た理由であろう。大陸の文化を「継受しようという意志」は歴史的にほぼ一貫して持ちつづけられて、701年やっとそれが大宝律令として公布されるのである。そのことが間違っていたのではない。そうではなくて、それが「名存実亡」となったとき、「自然的秩序(ナチュラル・オーダー)」という根源に立ち、どう逆転(裏返し)できるかである。

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