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2016年6月20日 (月)

明恵(その16)

明恵について(その16)
(5)なぜ明恵なのか? (その2)
 さて、私の家の墓は、京都の妙心寺(大心院)にある。平成17年3月20日に、春のお彼岸であり法事があった。その法事の後の食事が始まる間を利用して和尚さんが話をなさるのだが、今回は私にせよとのお話で・・・、30分ほど講話をさせていただいた。明恵についてである。
 和尚さんは、若い頃、明恵に特別の関心をもって勉強された由。私の「劇場国家にっぽん」・・・「わが国の姿(かたち)のあるべきようは」をご覧になって、私に講話をさせることを思いつかれたようだ。ありがたい話である。私は喜んでお引き受けしたのだが、その講話の骨子は次のとおりである。ここに紹介しておきたい。すなわち、

『 禅宗というのは、「座禅」によって「悟り」を得ようとする仏教の一宗派ですけれど、臨済宗の「栄西」に始まります。栄西によって日本の座禅が始まりました。そして、これはあまり知られていませんが・・・・、栄西に教えを乞い・・・、見事な座禅を実践した人・・・それが「明恵」という人だと思います。後鳥羽上皇から特別の思(おぼ)し召しがあって、栂尾の高山寺を開いた人・・・、それが明恵ですけれど、東大寺を代表する偉い坊さんでもあります。栄西は・・・・明恵に臨済宗を引き継いでもらいたかったようですが、そういう事情があって、実現しなかったようです。

 ただし、明恵はお茶の栽培を栄西から引き継いで、それが・・・宇治茶に繋がっていきます。栄西と明恵の・・・まさに親子のような・・・親密な関係がなかったら、宇治茶というものは誕生していなかったかも知れません。

 宇治茶の話はどうでも良いのですが、今私がいいたいことは、「座禅」というものの「すごさ」、「座禅」というものの「すばらしさ」であります。「座禅」によって人は「悟り」を得ることができるし、人格を高めることができるようであります。その達人が明恵であります。したがって、明恵の思想はすごいのです。哲学でいえば、今注目の「華厳哲学」です。私は世界最高だと思っています。

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