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2016年6月13日 (月)

明恵(その9)

明恵について(その9)
(3)河合隼雄の「明恵夢に生きる」(その1)

 河合隼雄は、その著作「明恵夢を生きる」で『「あるべきようわ」は、日本人好みの「あるがままに」というのでもなく、また「あるべきように」でもない。時により事により、その時その場において「あるべきようは何か」と問いかけ、その答えを生きようとする』ものであると述べている。何でも受け入れる母性的な「あるがままに」でもなく、肩肘張って物事を峻別しようとする父性的な「あるべきように」でもない。白と黒、善と悪、都市と田舎、大企業と中小企業・・・・。どちらかに偏してはいけない。違いを認めながら共和する心が大事だという、古代から連綿と続いている歴史的な知恵と相通ずる思想である。

 明恵は、承安三年(1173)に生まれ、貞永元年(1232)に60歳で没した、鎌倉時代初期の名僧である。彼の生きた時代は、平家から源氏へ、源氏から北条へとあわただしく権力の座が移り、その間にあって、法然、親鸞、道元、日蓮などが現われ、日本人の霊性が極まりなく活性化された時代であった。明恵はこれらの僧と共に名僧として崇められたが、他の僧のように「新しい」宗派を起こしたのでもなく、彼の教えを守る人たちが現代に至るまで大きい宗派を維持してきたというのでもない。しかし、彼は世界の精神史においても稀有と言っていいほどの大きい遺産をわれわれに残してくれた。それは、彼の生涯にわたる膨大な夢の記録である。

 明恵は「夢を生きる」ことによって自己実現を図り、華厳と真言の世界を統合した新しい世界、それは21世紀の哲学にも通じ得るまったく新しい世界であるが、そういった新しい華厳の世界の先達となった誠に希有な人であるが、河合隼雄によれば、そのすべてがそれら膨大な夢の記録によって解明できるのだそうだ。
わが国における華厳宗の中興の祖・明恵については、次を参照されたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/kegonkyou.pdf



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