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2016年6月12日 (日)

日中友好親善(その7)

日中友好親善(その7)
道教について
これから長期的に見て、世界平和のため日本がやるべきもっとも基本的なことは、日米同盟を基軸にしながらも中国との友好親善を図ることである。真の日中友好親善のためにこれだけのことは是非日本人に知っておいて欲しいというものを取りまとめた「日中友好親善のために」という私の論文があるが、ここではその一部を紹介しておきたい。

日中両国の関係には古い歴史があり、日本の文化は、中国からの伝来文化に負うところが極めて大きい。中国からの伝来文化は多彩を極めているが、その中で、私は、道教に重大な関心を持っている。道教の教祖が「老子」であるからだ。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/doukyouso.html

窪徳忠はその著「道教の神々」(1996年7月、講談社)の中で、道教の生命力というか信仰心というものの根強さについて次のように述べている。すなわち、
『 山東省威海市の郊外には、もと竜王を祀った廟があったが、文化大革命で竜王像は撤去され、漁具の置き場にされた。ところが、漁師たちは、文革中にもかかわらず、大晦日の出漁前にその建物前で礼拝して大漁を願うのが常だったという。上海市南西部の松江県では、以前にあった廟が取り壊されて、別の場所にあった天后宮が移設された。もちろん、内部は何の神も祀っていない。それでも村人たちは、あたかもそこに媽祖(まそ)像が祀られているような形で参拝していたという。さらに驚くべきことは、山東省のある村では、禁止された竈神(そうしん)の祀りを、文革中に門を閉めて家族で秘かに行なっていたと聞かされた。このような実状を知ったならば、政府も方針を変え、「宗教の自由」のもとに、道教の信仰を認めざるを得なくなるのは、当然であろう。まさに、民衆の信仰心の勝利であろう。』・・・と。

確かに、信仰心というものは逆境にあってもそう簡単に衰えるものではない。否むしろ、逆に、逆境に会えば会うほど信仰心というものは、強くなるのではなかろうか。中国の道教の場合、戦前戦後を通じて酷い逆境に会ったことがあるので、今後復興に向けて力強く歩んでいくのではなかろうか。私は、そのように思い、道教の将来に大いなる期待を持っている。
道教の修道院は、北京の白雲観ほかに、上海の白雲観や四川省西都の青城山などがある。そこでは若い道士たちの養成が始まっている。女性道士もいるようだ。道教の研究は、北京の「中国社会科学院世界宗教研究所」の道教研究室がもっとも盛んであるが、上海、四川、江西などの社会科学院でも宗教研究に力を入れ始めたらしい。各地域の大学や研究機関、道観、道教協会などと連携をとりながら精力的に道教の研究が始まっていると考えて良さそうだ。

中国は、道教という世界最強の宗教を擁し、天命政治を実践する世界最強の国家である。今後、世界は、新たな文明において、中華、すなわち中国を中心に動いていくものと思われる。習近平を今皇帝と仰ぐ中華人民共和国は、自信を持って進んでもらいたい。キリスト教を恐れることはないし,民主政治に惑わされることはない。中国の歴史と伝統文化に根ざした自らの世界平和路線を歩んでいけば良いのである。

以上のような考えから書いたのが「日中友好親善のために」という私の論文の中編「道教について」である。
中編「道教について」:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/doukyouni.pdf

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