« 明恵(その17) | トップページ | 淮南子(その2) »

2016年6月22日 (水)

周恩来(その6)

周恩来(その6)

周恩来という人物(その5)

『 近年明らかにされた外交文書ではアメリカ合衆国国務長官ヘンリー・キッシンジャーに対し「日本の台頭は米中両国の脅威である」などと話していたことが明らかになっている。』

『 文化大革命(プロレタリア文化大革命)が勃発しても周恩来は毛沢東に従い続け、走資派(実権派)のレッテルを張られた劉少奇らの粛清に協力した。文革勃発時に有力幹部の殆どが失脚、または死亡する者さえいた中、周恩来は最後まで地位を保った。周恩来は毛沢東の路線に従い、毎日紅衛兵を接見して指示を与えた。劉少奇を「敵のスパイ」と決め付ける党の決定を読み上げたのも周恩来だった。
その一方で周恩来は文革の「火消し屋」として紅衛兵の横暴を抑えようとした。』

『 周恩来のこれらの行動には限界があり、全体として文革の嵐を止めることは出来なかった。ここに、最後まで毛沢東に忠実だった宰相・周恩来の限界があった。その象徴的事例として、彼の養女であり女優であった孫維世の悲劇がある。』

『 周恩来は鄧小平と協力して文革の混乱を収拾しようとした。
更にその後、周恩来は江青ら四人組との激しい権力闘争を強いられたが、最後まで毛沢東に信任され、実権を握り続けた。1975年には国防・農業・工業・科学技術の四分野の革新を目指す「四つの現代化」を提唱し、後の鄧小平による「改革・開放」の基盤を築いた。』

『 1972年のニクソン大統領訪中のお膳立てをしたキッシンジャーは、周恩来を「今までに会った中で最も深い感銘を受けた人物」の一人に数え、「上品で、とてつもなく忍耐強く、並々ならぬ知性をそなえた繊細な人物」と評している。』

『 周恩来は日本の大恩人である。したがって、私は、 日本人は嵐山の周恩来記念碑 に一度は訪ねるべきだと思うし、さらに私は、周恩来は中国の伝統である「天命政治」を忠実に行なった誠に貴重な人であると思うので、中国人は周恩来のことをもっと深く知る必要があるし、とりわけ周恩来が一生をかけて貫き通した「天命政治」のことをもっと深く知る必要があると思う。』
『 だが、毛沢東は周恩来を最後まで信用せず、林彪事件後は自分自身の地位を窺う陰謀を企んでいると思い込んでいた。周死去の報を聞いた 毛沢東は、祝いの花火を打ち上げ上機嫌であったと言われている。しかし、この逸話は「天命政治」の本質をゆがめる話ではない。つまり、「天命政治」というものは皇帝に多少の欠点があろうとも、「天」がそのまま皇帝としての地位を認めてさえいれば、皇帝の入れ替えは起こらないのである。』
・・・である。

以上のとおり、周恩来は「天命政治」を一生をかけて貫き通した。以下において、中国の歴史と伝統にもとずく「天命政治」について、次をご覧いただきたい。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/syuuten.pdf



« 明恵(その17) | トップページ | 淮南子(その2) »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1117507/66150571

この記事へのトラックバック一覧です: 周恩来(その6):

« 明恵(その17) | トップページ | 淮南子(その2) »