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2016年6月19日 (日)

周恩来(その4)

周恩来(その4)

周恩来という人物(その3)

『 毛沢東は、まず農村に革命根拠地を作り、しかるのちに都市にむかうという方針を主張し、江西のソビエト区を拠点に革命闘争を展 開していたが、1931年1月には、上海の中国共産党委員会が、党中央の出先機関を瑞金に置く事を決定。あわせて毛沢東を批判し、役職を解任することを決 定し、王明らソビエト留学派が党の実権を握る。以降、党内では毛沢東への批判が続き、やがてコミンテルンから派遣されたドイツ人の軍事指導者オットー・ブ ラウン(李徳)、博古、周恩来等が党を指導していた。 http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/dougikaigi.pdf 』

『 1924年、孫文率いる国民党が中国共産党(1921年創立)との合作を決定、1926年より、国民革命軍(総司令官は蒋介石)が広州を出発し北伐を開始。しかし1927年4月蒋介石の上海での反共クーデターで、第1次国共合作が崩壊。これに対し、共産党側は、周恩来、朱徳、賀竜、劉伯承らが指導し1927年8月1日に南昌で蜂起、同年9月には毛沢東が江西省の銅鼓で蜂起、10月には毛沢東率いる革命軍が井岡山に最初の農村革命根拠地を作るなど、抵抗を続けたが、蒋介石が展開する数次にわたる大規模な包囲作戦の前に、苦しい戦いを強いられる。1934年10月、ついに中国紅軍主力部隊は、当時、党中央の出先機関が置かれていた江西省瑞金からの退却を決意、ここに「長征」が開始された。 http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/moutyou.pdf 』

『 日中戦争(支那事変)が始まると、周恩来は共産党の代表として重慶に駐在し、蒋介石との統一戦線の維持に努めた。日本が降伏した後はそのまま重慶に止まり、毛沢東と共に戦後の連合政府の樹立に向けた国共会談を続けた。しかし、これは物別れに終わり、国共内戦が始まった。内戦に勝利した共産党は、1949年10月1日、中華人民共和国を 建国した。』



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