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2016年6月13日 (月)

日中友好親善(その8)

日中友好親善(その8)
道教に想いを馳せて!
これから長期的に見て、世界平和のため日本がやるべきもっとも基本的なことは、日米同盟を基軸にしながらも中国との友好親善を図ることである。真の日中友好親善のためにこれだけのことは是非日本人に知っておいて欲しいというものを取りまとめた「日中友好親善のために」という私の論文があるが、ここではその一部を紹介しておきたい。
古代において中国伝来文化によって日本が作られてきた。これは歴史認識の問題であるが、私たちはそういう歴史認識をしっかり持たなければならない。

「日本の道教遺跡を歩く」(福永光司、千田稔、高橋徹共著、2003年10月、朝日新聞社)という名著がある。その中から、吉野、明日香、伊勢神宮、平安京に焦点を当てて書いた部分が、「日中友好親善のために」という論文の後編の第1章「道教に対する想いを馳せて!」である。後編の残りの部分と前編、中編は機会を見て紹介する。

吉野は、古代人にとって道教の解く不老不死の世界である「神仙境」と考えられた。持統天皇は、道教思想に基づく「祭天の儀式」を行なうために11年間の在位中に31回も訪れたのである。

明日香村には、7世紀頃、道教寺院が斉明天皇によって建てられていた。斉明天皇が「天宮」ともいわれた両槻宮をつくったのはなぜか。それはおそらく、漢の武帝の故事にならい、不老長寿をもたらしてくれる神仙を迎えようとしたのではなかろうか。自らつくった後飛鳥岡本宮から見上げる多武峰は特別な意味をもつ場所であることは想像に難くない。次に、明日香の須弥山石に関連して問題にしたいのは「道教が宇宙の構造をどのように認識していたか」である。老子の言う道とは、宇宙の原理のことであり、人間は宇宙の原理にしたがって生きていくことが大事なのである。だから、道教では、宇宙の原理について思索を重ねるとともに、天の構造についても以上のような考えを持っていたようだ。須弥山式庭園も宇宙を意識した空間であるが、斉明天皇の作った明日香の庭園も宇宙を意識した空間であったのである。その庭園で化外の民をもてなすとともに、その庭を身近におくことは自らを神仙に仮託しようとした斉明天皇にとって特別の意味があったのである。

「日本の道教遺跡を歩く」(福永光司、千田稔、高橋徹共著、2003年10月、朝日新聞社)では、伊勢の聖山・朝熊山について、次のように述べている。すなわち、

『 神仙世界から波が寄せてくる国、そこにそびえる霊のより来る高山ともあれば、古代の人たちが朝熊山を特別な山と見なしたことはうなずけよう。そのことがわかれば皇祖神天照大神を祀った伊勢神宮がなぜ朝熊山の近くにあるのか理解できる。』
『 聖なる山と、清浄な川を特別に意識して、宋聖観のような祭祀の場所を作るのは、中国の南北朝、隋唐時代の道教の特徴であった。遣隋使、遣唐使たちの見聞を通じて、大和朝廷の高官たちはそのことを知っていたにちがいない。伊勢神宮の造営に、この道教思想が大きな影響を及ぼしたことは想像に難くない。』・・・と。

桓武天皇は、平安京を作った。その時の思想は道教思想であった。 平安京の建設に当たっても四神相応の地を占ったことはいうまでもない。平安京は、風水思想によりその骨格が定められた。竜頭である船岡山と龍穴である神泉苑の位置基本として、都の中心線・朱雀大路が計画された。朱雀門は朱雀大路の北端にある。その奥は大極殿と大内裏である。朱雀門と神泉苑はほとんど隣接していると考えて良かろう。平安京は、龍神の働きによって、永きに渡って繁栄が約束された都である。まあいうなれば、龍の都である。したがって、風水思想によって、龍穴に皇居、大極殿が造られた。風水思想によれば、もし龍穴の近くに龍の口があれば、この上ない理想的な都となる。神泉苑は正に龍の口でもあったのである。

以上のように、道教に想いを馳せて!「吉野」「明日香」「伊勢神宮」「平安京」について詳しく書いたのが次の論文である。 
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/douomoi.pdf

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