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2016年6月17日 (金)

明恵(その13)

明恵について(その13)
(4)明恵と法然の宗教論争 (その1)

 明恵は、人間同士の争いや諍い(いさかい)を嫌い、山で座禅を組み、ただただ釈尊の教えを修学しようとしていた理想家だったようだ。明恵はほかの鎌倉時代の僧侶と違い、一宗を興したわけではないのに、なぜ多くの人たちが彼のもとを訪れ教えを乞うたか。特に女性の人気が高かったようだ。それもやはり自身を気取らないその人柄に引き寄せられてのことであったろう。

 明恵は亡き父母へを慕う気持ちが強く、仔犬を見ても、父母の生まれ変わりではないかと懐かしく思っていたらしい。鎌倉時代の代表的な彫刻家、運慶作の木彫の仔犬(高山寺蔵)をいつも机のそばに置き、こよなく愛したといわれている。明恵の生き方は極めて自然であった。
 彼はおそらく、自分の生き方について多分こう言ったであろう。
 「私は後生で済われようとは思っていない。ただ、現世においてあるべきようにあろうとするだけだ。修行すべきように修行し、振舞うべきように振舞えばいい。今は何をしてもかまわない、死後往生して助かればいい、などとはどの経典にも書いてない・・・」と。 ! やはり法然とは根本的に考え方が違っていたようだ。法然の念仏思想は極楽往生を前提とした他力本願であり、明恵の「あるべきようは」は臨機応変の「自力本願」だ。きっとこれからのインターネット時代というものは即応性と融通性のある「自力本願」が求められよう。「あるべきようは」にこめられた明恵の思いが見直され、注目されるに違いない。

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