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2016年5月13日 (金)

御霊信仰(その8)

御霊信仰について(その8)
御霊信仰の歴史的考察(その7)

第2節 御霊神社


御霊神社と称する神社あるいは御霊神社とは称しないけれど俗に御霊神社と考えられている神社は全国にいくつかあるようである。例えば、京都府相楽郡加茂町 の御霊神社や奈良県五條市の御霊神社である。前者は行基が開基したとも空海の弟子・真暁が開基したともいわれる燈明寺の鎮守社であったものであり、後者は 「井上(いかみ)の怨霊」に悩まされた桓武天皇がそれを鎮めるために五條市御山町(旧南宇智村御山)に造築した山陵を契機として創建された御霊神社であ る。なお、鎌倉権五郎神社は俗に御霊神社と考えられているが、これは先に述べた私の定義からすれば、御霊神社ではない。

全国いくつかある御霊神社の中で、もっとも典型的な御霊神社は京都の「上御霊(かみごりょう)さん」と「下御霊(しもごりょう)さん」である。この二つの 御霊神社は、御霊信仰のさまざまな背景の下、神泉苑で行われた「御霊会」を契機として創建されたもので、御霊神社の完成形と考えて良い。

上御霊神社も下御霊神社も創建の年代は明らかではないが、上御霊神社については、天徳2年(958)の宣旨などの見える上出雲御霊堂が該当するらしいの で、上御霊神社の方が下御霊神社の創建より若干古いようだ。下御霊神社は、神泉苑での「御霊会」とタイミングを合わせて創建されたようだ。両神社とも、中 世以来朝廷と貴族の崇敬が厚く、上御霊神社に対しては、近世には毎年正月に御所から歯固めの初穂の寄進があり、天正、宝永、享保、宝暦などの社殿修造に際 しては内侍所仮殿を下賜された。また、下御霊神社に対しても、霊元天皇はことに信仰厚く、享保8年と14年の二度にわたっての行幸祈願があった。その後、 上御霊神社は、光格、仁孝、光明天皇の代には皇子や皇女の降誕に際し胞衣(えな)を神楽所前に奉納されるなど、御所の産土神としての特別の待遇を受けた。 武家もこれにならい朱印地19石を寄進した。

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