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2016年5月28日 (土)

天皇の権威(その3)

天皇の権威について(その3)

第3章 源頼朝の暗殺について

 鎌倉の大仏が何故建立されたのか。これは大いなる謎である。まったくの謎ではある が、怨霊説が有力だ。鎌倉の大仏というのは、怨霊を鎮めるためにつくられたのではないか。頼朝、頼家、実朝らの怨霊。私はそんな思いがしてならないのである。

頼朝の墓と比べて、政子の墓は、寺といい墓地といい、えらい違いだ。政子の方は寺もある。頼朝はその魂をお祭りするものは何もない。これはどういうことなのか。政子は安養院の前身・長楽寺で頼朝を弔ったと言われているが,安養院には源頼朝を偲ぶなにもの
もないのである。これは、世間体もあるので政子は頼朝を弔ったことにしただけだということ・・を意味しているのではないか?

 源頼朝が旗揚げする際の北条三兄弟の暗躍及び源頼朝の血筋が不可解な出来事によって絶えてしまったことを考えると、北条一族の策略というものを考えざるを得ないのではないか。頼朝は相模川での落馬が原因で病気が悪化して遂に命を落したと言われているが、一部に、暗殺説もある。もしそうだとしたら、頼朝の墓があまりにも粗末であることも・・・・十分頷づけることではないか。

曽我兄弟の仇討ち事件の真相については、その他にも説があるが、私は「北条時政による源頼朝暗殺計画説」に賛成である。 頼朝が挙行した富士の巻狩りでは、曾我兄弟の仇討ちという大事件が起こった。曽我兄弟は、工藤祐経(くどうすけつね) の仇討ちにこと寄せて頼朝暗殺を図ったのであった。だが曾我兄弟は、親の敵である工藤祐経を討ったものの、頼朝暗殺には失敗、事件は単なる仇討ちとして処理された。しかし、縷々述べたように、曽我兄弟の仇討ちは、北条一族と源頼朝の代理戦争みたいなところがある。富士の鷹狩りの際の源頼朝の暗殺計画は失敗したが、第2節で述べたように、その後、源頼朝は北条一族によって結局は暗殺されたのである。
冒頭に述べたように、歴史を考える時、「もしそれがなかったら」とか「もしそういうことが起こっていたら」という「もしたら」は、意味がない。その時々の誠に複雑な事情によって、なるべくして歴史が刻まれてきたので、さまざまな歴史的出来事は最善のものであったと思う。そういう意味で、私は、歴史の必然性というものを強く感じる。御成敗式目もなるべくしてできたものと思う。
そういう観点に立った時、私は、北条一族によって源頼朝が暗殺されたのも、歴史の必然性であったと考える次第である。かかる観点から、歴史の必然性としての源頼朝の暗殺について詳しく述べた次第である。

以上の全文は、次のとおりである。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/tenkeni03.pdf

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