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2016年5月22日 (日)

宇宙との一体感(その5)

宇宙との一体感(その5)
NHKのEテレ「こころの時代」という番組 の要点(その4)。

金光: 夢窓国師の言葉が出ましたけれども、確か夢窓国師には・・・これは枡野さんのお書きになったものにあったのかも知れませんが、

自然は人のうちに生き、人は自然のうちに生きる

という言葉があったような気がするんですが、自然と人との関係ですね。これはともすると、私なんか「自分は一人で生きているんだと。それと別に 自然は自然でこう勝手に回転しているんだ」というふうに、バラバラについ考えがちなんですけれども、空気も水も、自分の外でありながら、それがなくなる と、こちらも死んでしまいますから、まさに一体になって生きているんだな、ということに気が付いたことがあるんですが。

枡野: やっぱり私たちは、すべての関係性の中で生かされているんですよね。一人で生きているということはできない。例えば私たちが頂く食事にしても、稲で言え ば、種を蒔いて、草取りをして、刈って、と。最後に調理をしてくれる人がいて、口に入ってくるわけです。そして私自身のこの身体を考えても、心臓でも腸で も肺でも、私たちが止めようとしたって止められないんですよ。ですから自分の身体と思っているこの身体すら、自分たちで自由にならない。これはじゃ誰が動 かしているのかというと、少なくとも自分では止められないから自分ではないわけですね。すると、それをどう考えるかというと、仏教では「仏の力」とかとい う言い方をしますが、現代的にいうならば、大宇宙のそれ動いているのは真理だと。「大宇宙の力が動かしてくれているんだ」と。ですから私たちは、そういう 力の中で生かさせて頂いていることに考えると、すべて私たちはその関係性の中で生きて暮らしていることができるんで、自分一人で暮らすことなんかできない んだと。これは仏教では「諸法無我(しよほうむが)」というんですね。すべてのものは私一人ではなりたたないんだ、と。仏教の大きな柱なんですけれども。

金光: 「無我」というと、「自分がない」というふうについ文字通り読むと思いますけれども、そうではなくて、「我」という固定したものがあるわけではなくて、そういう常に流動しているその中で生かされているという、その自覚のことを表現なさっているでしょうね。

枡野: はい。ですから私たちは、この庭を見て、あるいは庭の中に静かに散策をしている時に、〈あ、この中に生かされていることが幸せなんだ、有り難いんだ〉ということが思えたら、それでも十分だと思うんですね。

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