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2016年5月31日 (火)

天皇の権威(その6)

天皇の権威について(その6)

第5章 日本の政治のあり方・・・民主主義の欠点を補う天皇の権威(その2)

また、佐伯啓思は「正義の偽装」の中で、天皇について、次のように言っている。すなわち、

『 明治憲法は、統治の基本、国民(臣民)の権利、義務などを天皇の名で示した。その ために憲法の正当性天皇制度に委ねられ、天皇制度の正当性は日本の歴史そのものに帰着 する。しかもそのことを人々が共通の価値として了解する限りで、憲法の正当性は保たれ るのです。もっといえば、どうしてそれが可能だったのか。それは、君主である天皇は、 日本の場合、同時に神につながる系譜のなかに位置し、しかも祭祀の長であり、世俗世界 を超越した存在だったからです。つまり、憲法は、なかば超越的な次元から降ろされてき ており、その超越的な次元と世俗を媒介するものが天皇だった。そこに人々がひれ伏す理由もあるのです。そして繰り返しますが、そのような天皇の理解が日本の歴史そのもの だった、ということなのです。この基本構造こそが、日本の「国体」の軸であり、その軸からすれば、近代憲法とは異なった憲法理解をわれわれはしなければならないことになり ます。かなり以前に、ある高名な政治学者が、半ば冗談、しかし半ば本気で、「日本の憲法は本当は聖徳太子の十七条憲法でええんや」といったことがあります。今日の憲法学者からすればとんでもない意見でしょう。しかし、その意味は、それこそが日本で最初に成立した「国のかたち」にかかわる文書であり、その上に積み重なった歴史の中にしか日本の憲法は描けない、ということなのでしょう。十七条憲法の「憲法」は、「いつくしきのり」と読みます。「重みをもった法」という意味です。なかなかよい言葉ではありませんか。』

『 日本の場合、「公」は「政治」と「祭祀」の両義的な意味をおびた「まつりごと」にほかならず、それは「武」ではなく「文」の領域になるのです。これに対して、「武力」は「私」のものです。それは私領を守り、一族郎党を食わせる不可避の手段でした。(中略)武士とは、何よりもまず、一族郎党の私領を確保し、その「一所」を命を懸けて守っ
た存在でした。命を懸けるのは、「私」の家(イエ)のためだったのです。そして、ここ に一線が引かれていた。天皇・貴族は、「公」の側に位置し、武士は「私」の側にいた。 「政治」は「公」のものであり、そこに「私」が入り込むべきではなかった。「公」は 「文」、つまり「文化」と結びつき、「私」は「武」、つまり根源的な生と結びついていた。』

『 今日の日本の政治は、「作家的 なもの」すなわち「私的なもの」、「感覚的なもの」を「政治的なもの」すなわち「公的 なもの」へとほとんど遠慮会釈なく持ち込み、しかも、それを媒介しているのが、大衆の 情念や好奇心である。』
『 君主である天皇は、日 本の場合、同時に神につながる系譜のなかに位置し、しかも祭祀の長であり、世俗世界を 超越した存在だったからです。つまり、憲法は、なかば超越的な次元から降ろされてきて おり、その超越的な次元と世俗を媒介するものが天皇だった。そこに人々がひれ伏す理由 もあるのです。そして繰り返しますが、そのような天皇の理解が日本の歴史そのものだっ た、ということなのです。この基本構造こそが、日本の「国体」の軸であり、その軸から すれば、近代憲法とは異なった憲法理解をわれわれはしなければならないことになりま す。』

『 世俗の政治秩序は「私的」な力の争いによって成り立っている。ようするに、無限の 「自我」や「我欲」によってたえず動揺しているのです。しかし真の社会秩序は、こんな頼りないものではなく、もっと変わりなく安定し永続する原理によって担保されていなけらばならない。そこに世俗の時々の状況を超えた権威が必要であり、それは世俗を超越した次元からくるとするほかない。』・・・と。

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