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2016年5月16日 (月)

御霊信仰(その11)

御霊信仰について(その11)
御霊信仰の歴史的考察について(総括)
2016年4月29日のプライムニュースを見ながら思ったことだが、習近平は、外交、経済、北朝鮮問題などで内憂外患の状態にあり、心の底から日中関係改善を望ん でいるのではないか。このような時、私は、日中友好議員連盟(会長・高村正彦自民党副総裁)の国会議員は、天皇陛下に習って、今後、靖国神社の参拝を行わ ないことを誓うべきだと思う。そしてまた、遊就館に見られるような「ひん曲がった歴史観」を抹殺するために、勇気を出して「正しい歴史観」を発言すべきだ と思う。日清戦争、日中戦争を通じて、日本の多大な迷惑をかけたことを反省すべきである。
天皇は「日本の歴史と伝統文化」の象徴である。その天皇が靖国参拝をされないのであるから、今の靖国神社は「日本の歴史と伝統文化」にそぐわない異質のものである。

私には、遊就館について書いた論考がある。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yuusyuukan.pdf

その中で、私は次のように述べた。すなわち、

『 当時は天皇が神として崇められ、神国・日本のために命を捧げることを良しとしていた人が多かったことを考えれば、靖国神社や遊就館自体に問題があった訳ではない。問題は、第二次大戦が終わり、天皇「人間宣言」によって日本が生まれ変わったにもかかわらず、靖国神社が戦前を引きずっている点と遊就館を再開した点に問題がある靖国神社は御霊信仰にもとづいて建立されたものであるが、これからの靖国神社のあり方を考えた時、御霊信仰に関して歴史的に培われてきた日本国家としての知恵が生かされなければならない。
「天皇の権威の文化化」ということが怨霊信仰の歴史が教えるもっとも重要な点だと思われるが、御霊信仰の歴史は、当初の「御霊会」と祇園「御霊会」の意義というものも教えている。したがって、靖国神社については、きっぱりと戦前と決別し、祇園「御霊会」を参考にして「御霊信仰の文化化」を図れば良いのである。靖国神社の存続自体には問題がないけれど、遊就館はまったく不要である。』・・・と。

「天皇の権威の文化化」とは何か? それを今まで縷々説明してきたが、それを総括したものは次のとおりである。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/gorekisi.pdf

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