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2016年5月 9日 (月)

御霊信仰(その5)

御霊信仰について(その5)
御霊信仰の歴史的考察(その4)

2、密教の呪力

古代の律令制での神祇官は祭祀を司る官である。平安時代後期には国衙と同等まで低下したが、当初は太政官よりも上位であり、諸官の最上位とされたと考えら れていた。その神祇官が執り行う祭祀はさまざまだが、その中の重要な祭祀の一つに道饗祭(みちあえのまつり)があった。これは、陰暦6月と12月に、京都 の四隅に八衢比売(やちまたひめ)・八衢比古(やちまたひこ)・久那斗(くなど)の三神をまつって、路上で怪物・妖物を饗応し、都にはいるのを防ぐために 行なった祭祀である。
その律令制が始まると同時に行われてき古代から呪術的祭祀としての「道饗祭 (みちあえのまつり)」は、疫病の大流行と共に、 陰陽寮を中心とした陰陽師が朝廷での権威を高めることによって、「疫神祭」として、名称が変化して来る。「疫神祭」は、陰陽道系の祭りとして「四角四界 祭」とも呼ばれ、鬼神から御所の四隅を護る「四角祭」と都の四堺を護る「四界祭」に分別される。祭りに際して、陰陽師による占卜(せんぼく)をおこない、 天皇個人や御所内に漂う邪気、悪気、穢れた気 が存在するか否かを調べる。存在を感じた場合、「撫物(なでもの)」などの依代(よりしろ)を使用し、「撫物」に これらの鬼気を依り付け、四界の境界の外に出てもらったのである。『延喜式』の「畿内堺十処疫神祭」では、「撫物(なでもの)」に人形(ひとがた)とし て、陰陽を象徴する金銀人像が使用されている。「撫物」とは身の穢(けがれ)を除くために用いる呪物のこと。一般に陰陽師(おんみようじ)が祓(はらい) や祈禱を行う際に,人形や衣類等を用意し,これに依頼者の穢(けがれ)をなでて移し、川に流し去るものである。平安時代、摂津難波津で行われた八十島祭 (やそしままつり)では、天皇が下賜した御麻(おおぬさ)の撫物を振って金人銀人の人形に穢を移し,海浜に棄却した。やがてこれが密教の「六字河臨法(ろ くじかりんほう)」と称する呪術にも影響し、河川に舟を浮かべ、僧侶の読経と陰陽師の中臣祓(なかとみのはらい)読誦を伴いつつ、檀家がわら人形である撫 物に穢を移し散米をかけ茅の輪(ちのわ)をくぐらせる呪法を行ってこの人形を水中に投ずる、というようなことが行われる。

ところで、密教といえば、通常、真言宗の密教、天台宗の密教を思い浮かべるが、呪術的要素の強い密教はそれ以前からも日本に入ってきていた。東密、台密を 純密(じゅんみつ)というのに対し、純密以前に断片的に請来され信仰された飛鳥時代や奈良時代の密教を雑密(ぞうみつ)、東大寺の大仏開眼と戒壇建立に前 後して、鑑真和上から入唐八家による請来までを古密教(こみっきょう)という。そして、古密教(こみっきょう)は修験道と結びつき、次第次第に力をつけて いったのである。つまり、平安時代以前においても、古密教は次第次第に陰陽道を凌駕するようになっていったのである。
そして、遂に、空海によって、神泉苑で「御霊会」が行われる少し前には、「密教の強力な呪力」というものが朝廷にも世間にも認識されるようになる。


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