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2016年5月16日 (月)

継体天皇の謎(その44)

継体天皇の謎(その44)

第4章 継体天皇の大和入りを支えた多賀の豪族(2)

ウィキペディアによると、『多賀氏(たがし)は、日本の氏族。現在の滋賀県犬上郡多賀町にある多賀大社の神官で、後に武家に転向した。』とあるし、多賀大社のホームページによると、『多賀大社と多賀氏との関係は深く、鎌倉時代には神官兼御家人として多賀氏が多賀大社を運営していたことが神社の古文書に残されています。また、 「姓氏家系大辞典」によりますと、多賀氏の祖は近江・播磨・筑前・飛騨・下総等の諸国に数流ありますが、一説には多賀大社が多賀氏のルーツとも云われてい ます。』とある。また、ウィキペディアには、『多賀神社(たがじんじゃ)は、イザナギノミコト(伊弉諾尊)とイザナミノミコト(伊弉冉尊)を祀る神社で、全国に二百数十社ある。総本社は、滋賀県犬上郡多賀町にある多賀大社。』と書かれている。

これらの記事を読むと、多賀氏とは多賀大社あるいは多賀神社の神官であるとしか思われないが、そうではないだろう。以下において、その説明をしていきたい。

多賀町あるいは多賀で検索すると、ウィキペディアに滋賀県犬上郡多賀町が出てきて、『古代から近世にかけて犬上君(犬上氏)および多賀氏が勢力範囲あるいは本拠としてきた地域であり、古今を通じイザナギ・イザナミの2大神を祀る多賀大社を中核として発展してきた。』と説明されている。それ以外の地域は出てこない。しかし、京都府綴喜郡(つづきぐん)には、昭和33年まで多賀村(たがむら)があって、現在は、井手町(いでちょう)の中の地名・多賀となっているが、この地域は、昔、多賀という地域であったことは間違いない。

すなわち、多賀という地域は、滋賀県犬上郡の他に京都府綴喜郡にもあるのである。滋賀県犬上郡の多賀は、多賀大社に因んで多賀と呼ばれたのであるが、実は、京都府綴喜郡の多賀も、多賀神社に因んで多賀と呼ばれたのである。ウィキペディアには、京都府綴喜郡多賀の多賀神社なんて出てこないが、これは歴史を知らないからそうなっているのであって、実は、継体天皇とともに、滋賀県犬上郡の豪族・犬上君が京都府綴喜郡のこの地域にやってきて、多賀神社を創建したのである。




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