« 継体天皇の謎(その47) | トップページ | 山地拠点都市構想(その148) »

2016年5月19日 (木)

宇宙との一体感(その3)

宇宙との一体感(その3)
NHKのEテレ「こころの時代」という番組 の要点(その2)。

金光: それでともすると、「自然のまま」というと、目の前に展開する、それを全部そのまま認めるということになりがちなんですが、人間という動物が出てきて、何千年も何万年も人間の手が加わっていますと、本来の自然のあり方と違った結果が出ている現実もあるわけですね。

枡野: ございますね。

金光: その辺のところは、見極めるのはどうすればいいのかと思うんですが。

枡野: 簡単に言いますと、自然というと、森でもガサガサにこうなって、人間が立ち入ることができないぐらいの凄い樹が茂ってしまうわけですね。ところが人間と自 然、それを仏教では「共生(ともいき)」というんですけど―「共生(きようせい)」と書いて「ともいき」と言うんですけど―共生するということは、やはり そこに少し手を加えていかなければいけないんですが、その手を加えていく時に、自然を「こうさせるぞ」とか、「こうしてやるぞ」というんではなくて、自然 のいのちとか心をどういうふうに尊重して引き出してあげるか。手を加えるんですけど、例えば木でいえば、木心(きごごろ)を生かして、それを扱ってあげ る。石であれば、石心(いしごころ)を生かして扱ってあげる。大地(だいち)ですと地心(じごころ)と言って、地心を生かしてそれを扱っていく。ですから 私たちがデザインする時に、「地心を読む」とか、あるいは「木心を読む」とか、「石心を読む」というような言い方をするんですけど、それはそのもともと 持っている心を如何に引き出してあげるかというんで、「こうしてやるぞ」というんじゃないんですよ。そこが西洋の人間がその主従関係の主(しゆ)に立って やるのと、私たちが共生(ともいき)するとの違いだ、と思うんですね。

金光: (中略)今のお話 もやっぱり人間がある程度手を加えて作り上げたものが、その植物なり、あるいは石なら石、大地の様子なら様子が、本来はもうちょっと人間が手が加わらない 方が、その自然のままの本来の木なり石なり大地のあり方だというのを、見る目がいるわけですね。

枡野: そうなんです。そこが一番大事で、それを見抜いていく。この目を如何に養うか、ということが大事なんですね。仏教で「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもく しつかいじようぶつ)」という言葉がありますが、「山の木もみな成仏しているんだ」という言い方をするわけですが、やっぱりその中には、「仏性がある」 と。私たちはこういって、それを如何に引き出してあげられるかが、今度は私たちがそれを扱う人間の能力というか、責任でもあって、その目を如何に養ってい くかということが問われちゃうんです。これがまあ非常に恐ろしいことですね。


« 継体天皇の謎(その47) | トップページ | 山地拠点都市構想(その148) »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1117507/65561523

この記事へのトラックバック一覧です: 宇宙との一体感(その3):

« 継体天皇の謎(その47) | トップページ | 山地拠点都市構想(その148) »