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2016年5月12日 (木)

御霊信仰(その7)

御霊信仰について(その7)
御霊信仰の歴史的考察(その6)

3、御霊会

863年(貞観5年)、空海が神泉苑の「雨乞い神事」で「自然呪力」の凄さを見せつけてから、ほぼ40年経ってからのことであるが、同じ場所で「御霊会」が行われる。

この年の初めからことのほか流感が激しく、百姓が多数病死した。このチャンスを捉えた朝廷は、5月20日、自らが御霊会を主催する。神泉苑に崇道天皇以下 6人の御霊の座を設けて礼拝し、花果や薫香を供え、天台修験道の僧・彗達(えたつ)を導師として 金剛明経(こんごうみょうきょう)と般若心経などを唱えさせ、さらに雅楽寮に楽を命じ、天皇近侍の児童や良家の稚児などに唐・高麗の舞を舞わせ、雑伎(ざ つぎ)や散楽(さんがく)などを存分に演じさせた。この朝廷主催の御霊会を監督したのは、良房の基経らである。天皇以外の王侯貴族が総出で参加しただけで なく、神泉苑の東西南北の門をこの日に限って勅命で開き、都の人々が自由に出入りして観覧できるようにした。

この貞観5年朝廷主催の御霊会は、民間で形成されてきた御霊会をはるかに大規模な形にしてそっくり取り込んだものであり、また、そこに誰でも自由に参加で きるようにしたことは、民間の御霊会を吸収し尽くしてしまおうとする朝廷の野心のほどが伺える。また、鎮護国家の経である金剛明経(こんごうみょうきょ う)と密教の基本経典のひとつである般若心経がともに唱えられたことは、民間の間に広がってきた密教に迎合するものでもあったのである。

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