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2016年5月22日 (日)

山地拠点都市構想(その149)

山地拠点都市構想(その149)

第6章 山地拠点都市構想の実現に向けて(25)
第4節 「美しい都市」を目指して(4)

美しいということは、心の問題でもあり、その概念は広い。しかし、ここでは美しい都市 について述べる前に、その背景となる景観哲学を含めて「美」というものについて少々考 えて見たい。

(1)景観哲学について

世界の人々に来てもらって、恥ずかしいと思う点は何か? いろいろあると思うが、私が いちばん恥ずかしいと思っているのは、私たちに宗教的な生活というもの が希薄だとい うことと景観の著しく損なわれているところが多いということだ。私は先に、< 「神々 の風景」は総じて変貌が著しい。それは衰微・荒廃してき ているといって間違いない。 その変貌と衰微は日本人の「神」の衰微であり、日本人の「心」の反映にほかならない。 すべての環境問題の起点はここにある。自 然のなかに神を見、その自然と謙虚に対座 し、自然の恵みに感謝するという日本人の自然観・民族モラルが揺らぎ、衰えてきている のである。>・・・・という 野本寛一の認識を紹介したが、彼のいうとおり、日本人の 近年における「神」の衰微は著しく、そのことが景観問題にも悪影響を及ぼしている。 景観問題を矮小化してはならないのである。』・・・・と申し上げた。
では、「古層の神」が景観問題とどのように関係してくるのか? 「景観10年、風景 100年、風土1000年」という言葉がかって流行ったが、この言葉はもともとは風土工学の 先駆者・佐々木綱が言い始めた言葉で、そういう題の本も出ている(佐々木綱、 巻上安爾、竹林征三、広川勝実、神尾登喜子の共著、1997年11月、蒼洋社)。 「景観10年、風景100年、風土1000年」というのは誠に言い得て妙な言葉だと思うが、ちょっと歴史的認識が足りないように思う。鶴見和子がいうように、歴史が進化 や段階を経ると見るのではなく、古いものの上に新しいもの が積み重なっていくと見る 視点(「つららモデル」)は誠に大事であって、歴史的に日本の風景を語る場合、万年前 の風景まで遡る必要があるのではないか。かかる観点から「何とか万年という場合、何といえばいいか?」、その点を中沢新一にちらっと聞いたことがある。その時、中沢新一は 即座に「精霊(スピリット)」と言った。彼はそれほど深く考えずに直感的に言ったの だけれど、私は、これこそ言い得て妙な言い方だと思う。「 景観10年、風景100 年、風土1000年 、精霊万年」
・・・。 いいですね。

風景には、「現実の風景」と 「風土に根ざした風景」と「精霊に根ざした風景」があるというのが私の考えだ。盆栽や 箱庭などの縮景や見立ては、 実際に見えるものの奥に、それよりさらに意味のあるもの を感じ取ろうとするものである。「現実の風景」から「風土に根ざした風景」を感じ取 る。これは文化 の問題であるが、さらに「現実の風景」から「精霊に根ざした風景」と いうか「古層の神」を感じ取ることができれば、ハイデガーのいう「投企」が始まるかも しれない。もしそうなれば、そこから新たに自分を捉えなおし、新たな生き方を始めるこ とができる。これはもう単なる文化を超えた問題である。風景と景観、 風景と風土、風景と精霊、これらの問題は極めて大事な問題である。

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