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2016年5月25日 (水)

山地拠点都市構想(152)

山地拠点都市構想(その152)

第6章 山地拠点都市構想の実現に向けて(28)
第4節 「美しい都市」を目指して(7)
3、街の修景(1)

オギュスタン・ベルクは、風景のなかにコーラが象眼(ぞうがん)されていると言ってい るが、この文面の意味としては、一般的には何でもない風景のなかにコーラという大変な 意味をもった哲学的に誠に重要なものが嵌め込まれている・・・という意味であろう。
「おもむきにしたがってその場所が変化して行く、その作用」は、「コーラ」の本質から いって、人々という主観的な力と場所という客観的な力の両方に起因する。 主観的な力 を働かせるとき、その場所の場所性(歴史性とトポス性)の重要性を十分認識していなければならない。場所をして語らしめよ!
しかし、「場所をして語らしめよ!」といってもそう簡単なことではない。場所をして語 らしめようとする人物の力量によるからだ。多くの要素が絡み合って、華厳の世界といっ て良いかもしれないが、複雑な関係が出来上がっている。その関係が風土のおもむきをつ くっている。歴史的なおもむき、自然的なおもむきである。宗教的なおもむきというもの もあるかもしれない。これは知識もさることながら感性の問題でもある。第六感というか 直感が働かなければならないかもしれない。これは人の力量の問題だ。場所は人の力量に 応じて何かを語り始める。大きく打てば大きく響くのである。
風景と景色と風光とは、まあ同じようなもので、そこに風土的な「おもむき」があると いってよい。景観は風景の外観的な側面をいっており、風土的な「おもむき」はない。
オギュスタン・ベルクは、「風土学序説」のなかで、「風景は風土(エクメーネ)の展 開である。」・・・と言っている。 そしてまた、景観については「自然科学の視点から、 環境の形態を考察して、この対象を<景観>と呼ぶことができる。」・・・と言ってい る。

「風景には風土のおもむきがあり、景観には風土のおもむきがない。」
プラトンの「コーラ」やオギュスタン・ベルクの風土学を十分意識してどのように景観問 題と取り組むのか、そこが問題で、そういう問題意識から私は、今、私なりの「景観哲 学」を語っている。間違いも多かろうと思うが、気のついた時点でそれは訂正するとし て、以上のような哲学を背景として、ともかく実践活動を始めようと思う。歩きながら考 えるという訳だ。
「なおしや又兵衛」という会社の都市の修景に使えそうなユニークな技術がある。このよ うな技術は他にもあるかもしれないが、私は、「なおしや又兵衛」のこの技術を使えば、 「山地拠点都市」の修景が、今よりずっと容易になるのではないかと思っている。天の助 けだ。


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