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2016年5月29日 (日)

山地拠点都市構想(その155)

山地拠点都市構想(その155)

第6章 山地拠点都市構想の実現に向けて(31)
第5節 山の国民運動(2)
2、「樹木・環境ネットワーク協会」

「樹木・環境ネットワーク協会」というNPO法人がある。その前身である日本樹木保護協会は、1960年以降、樹木保護を 主目的に活動を展開し、1995年に樹木・環境ネットワー ク協会として再スタートした。以来、「森を守る」「人を育てる」「森と人を繋ぐ」を テーマとした さまざまな活動を展開しておられる。なかには「子どもワクワクプロジェ クト」というがある。これは「自然の不思議を楽しく発見!」をテーマに、子どもが安全 に楽しく自然に触れることができるように考えられたプログラムである。なお、樹木・環 境ネットワーク協会では、グリーンセイバーという資格検定を実施しておられ、その有資 格者が「子どもワクワクプロジェクト」にも活躍している。グリーンセイバーは、植物や 生態系に関する知識を体系的に身に付けた人材を育成するために、1998年に創設された 検定制度で、すでに3,500人以上のグリーンセイバーがいるのだそうだ。これらの人たちは、「子どもワクワクプロジェクト」の他に、全国各地で森づくりや里山再生に取り組ん でいるという。頼もしい限りだ。
知恵のある国家は知恵のある国民で成り立っている。知恵のある国民を育てるには何と いっても教育がもっとも大事だ。本を読んだりテレビを見ることも必要だけれど、子ども たちはもっと身体を動かさなければならない。そう考えれば、私たちの学習プログラムは 無限にある。私たちは、養老孟司が言うように、「身体と脳の学習プログラム」をいろい ろとつくり出さなければならないのだが、樹木・環境ネットワークの「子どもワクワクプ ロジェクト」はそのモデルとして注目される。 樹木・環境ネットワーク協会も言っておら れるように、森や里山には、次の世代を担う子どもたちの心身を育み、感性を磨くチャン スがいっぱいある。 さて、次の世代を担う子どもたちの心身を育み、感性を磨く「場」は、けっして奥山では なく、里山である。山地拠点都市としては、奥山の問題もさることながら、里山の問題と も真剣に取り組む必要がある。里山の改修ならびにその保全に関しては、既にいろいろな 動きが見受けられるけれど、樹木・環境ネットワーク協会の活動はその代表的なものとい うか模範的なものであると思う。したがって、今後、樹木・環境ネットワーク協会を中心 として、 里山に関する国民運動が全国的な広がりを見せるよう、 重大な関心を持って見 守っていきたい。 日々の暮らしに必要な水、炭や薪、木材、きのこや山菜などを集落の近くにある山林から 得ることによって、森に光が入り、 植生が維持され、動物や昆虫、菌類まで含めた豊か な生態系が生まれる、それが本来の里山の暮らしであった。その里山の自然と一体になっ た生活が壊れてしまった。その復活を図らなければならない。私の提唱する「山地拠点都市構想」の大きな柱である。 私は京都生まれの京都育ちであるが、私の小さい頃、「すいば」というのがあった。 「すいば」は個人にとってその人とその仲間にとってかけがえのない場所であるが、里山 がそうであるように、全体的には地域のコモンプレイスという性格もあって、地域にとっ てもかけがいのない場所である。 私は、「山の霊魂」の働きが期待できる危機的市町村には「すいば」が必要であると思う。

京都に「民族自然誌研究会」いうのがあって、いろいろと面白い勉強をしている。そ
の会があるとき「すいば」論をやったことがある(2000年7月1日)。 山田勇氏(京都大学東南アジア研究センター)が、「『すいば』と生態資源保全」と題して、1950年 代の京都衣笠金閣寺周辺での本人の「すいば」を紹介 し、さらに「すいば」風景の原要 素として、場・モノ・うれしさ・テリトリー・仲間が考えられることを述べた。さらに、 山田氏は、ボルネオ、中国雲南省、カ ナダ、アマゾン・アンデス、パタゴニア、フィンラ ンドでの生態資源保全についての調査の旅から、子どものとき経験した「すいば」への思 い入れが、いろいろ な地域においてその土地で生活に必要な資源を有効に生態保全して いる人びとの土着の知恵と相通ずるものであることを報告した。この話は大変いい話で、 余分 なことは言わないでそのまま受け止めておけば良いのかもしれないが、私として は、実は、コーラに関連してひとこと言いたいのである。
私は前に「文化というものの土地への帰属性」について書いたことがある。  そこで 言いたかったことを今ここの文脈で言えば以下のとおりである。100年200年経った とき、何代もにわたって次々と子供たちはその「すいば」でそれ ぞれ何かを体験し、何 かを身につけ、何かを生み出して行く。その何かは人によってそれぞれ異なるであろう。 生み出されるものは必ずしも特定されないけれ ど、何かが生成しているのである。主役 へいせいは人ではなくて場所である。主役は何かを生み出す場所である。すなわち、「す いば」は「生成の場所」・「コーラ」で あるということだ!



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