« 天皇男系の理由 | トップページ | 御霊信仰(その5) »

2016年5月 9日 (月)

継体天皇の謎(その41)

継体天皇の謎(その41)

第5節 邪馬台国と朝鮮半島との繋がり(1)

魏志倭人伝では、「(帯方)郡より倭に至るは、海岸に循(したが)ひて水行し、韓の国を歴(へ)、乍(あるい)は南し乍(あるい)は東し、其(そ)の北岸の狗邪韓国に到り、七千余里。始めて一海を度(わた)ること、千余里にして対馬国へ至る。」・・・とある。念のためこの和訳を紹介しておくと、「(帯方)郡より倭に至るには海岸にそって水行、韓国を経て、南へ行ったり東へ行ったりしてその北岸(倭国の北岸)の狗邪韓国に到ること七千余里。はじめて一海をわたり千余里で対馬国に至る。」ということであり。
つまり、狗邪韓国(くやかんこく)は、倭の北部で、沿岸の国である。そのことを他の歴史書で確認しておこう。

魏書東夷伝韓条では、「韓は帯方郡の南にあり、東西は海を限界とし、南は倭と接し、四方は四千里ばかり。韓には三種あり、一に馬韓、二に辰韓、三に弁韓。辰韓とは昔の辰国のことで馬韓は西にある」・・・とある。
魏書弁辰伝によると、辰韓と弁韓は、風俗や言語が似通っていたという。「土地は肥沃で、五穀や稲の栽培に適していた。蚕を飼い、縑布を作った。鉄の産地であり、韓、濊、倭などが採掘していた。市場での売買では鉄が交換されており、それは中国での金銭使用のようであった。また倭人とも習俗が似ており、男女とも入れ墨をしていたとある。武器は馬韓と同じであった。礼儀がよく、道ですれ違うと、すすんで相手に道を譲った。」・・・とある。

そして、後漢書東夷伝倭人条では、「倭は韓の東南、大海中の山島によっており、およそ百余国ある。武帝が衛氏朝鮮を滅ぼしてから、三十余国が漢に使訳を通じてきた。国では皆が王を称するこ とが代々の伝統である。そこの大倭王は、邪馬臺国に居する。楽浪郡の境界から、その国(邪馬台国)までは一万二千里、その西北界(邪馬台国の西北界)の拘邪韓国から七千余里。その地はだい たい会稽郡東冶の東にあり、朱崖や儋耳と相似しており、その法俗も多くが同じである」・・・とある。

いずれも狗邪韓国を倭国の西北界と記述している。そして、狗邪韓国は韓と陸続きであり、対馬とは海を隔てていることになる。これは、狗邪韓国が朝鮮半島南端部にあったことを意味し、同時に狗邪韓国は倭の支配領域であったことになる。実際に朝鮮半島南端部では倭系遺物(銅矛・弥生式土器)などが多量 に出土している。このことも倭の支配地だったことを裏付けている。歴史時代に入っても朝鮮半島南端部は加羅国、伽耶国などと呼ばれ、任那日本府があったと 日本書紀にも記述されている。

« 天皇男系の理由 | トップページ | 御霊信仰(その5) »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1117507/65388403

この記事へのトラックバック一覧です: 継体天皇の謎(その41):

« 天皇男系の理由 | トップページ | 御霊信仰(その5) »