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2016年5月25日 (水)

天皇の権威(その1)

天皇の権威について(その1)

第1章 概説

天皇制というものを考えたとき、天皇の地位継承が断絶したときが歴史上一度だけある。武烈天皇のときだ。武烈天皇には子供がいなかったので、もう一度擁立しなければならなくなった。そこで担ぎ出されたのが継体天皇である。継体天皇も自分自身の力で天皇になったのではない。擁立されたのである。

応神天皇、継体天皇の時代、国の権力は、天皇にはなく、天皇を支えた実力者がいたのである。もちろん、実力者は一人ではなく、多くの実力者がいた。天皇は、天皇の権威によってそれら実力者を従わせた。国の統治は、天皇中心に行われたが、律令制が確立されるまでは、天皇の権力は未熟であった。人治国家の時代。

その後、大化の改新以降、天皇の実力がついてきて、律令国家となる。つまり、天皇主権法治国家の誕生したのである。天皇主権国家は、1232年の北条泰時の時代まで続く。

天皇主権法治国家の時代にも天皇を凌ぐ権力を発揮した権力者がいたが、蘇我入鹿、藤原道長などといえども、天皇と血縁関係を結び、天皇の権威を利用したからこそ、権力を発揮できたのであある。

武士の時代になって初めて権力と権威が分離された。それを行ったのが北条泰時である。1232年のことである。物言わぬ天皇の誕生だ。

以上、天皇の権威というものに着目して時代を区分すると、応神天皇、継体天皇の時代、律令制度、御成敗式目の3段階に区分される。第3段階以降は、物言わぬ天皇、すなわち、完全に分離された権威にのみ生きる天皇による天皇制度は、途中多少の乱れはあるものの現在の天皇制に続いている。

政治権力とは、立法と行政と司法の三権を土台とする国家権力のことである。。

第1段階は、 応神天皇、継体天皇の時代 に相当し、まだ法律のない段階であり、政治権力の未成熟の時代である。わが国における人治国家のことである。
第2段階は、律令国家に相当し、政治権力が整った時代である。この時代、立法権は天皇にあったので、天皇主権法治国家と呼ぼう。
第3段階は、御成敗式目制定後の時代に相当し、政治権力と政治権威とが分離した時代である。立法権は天皇から剥奪され、天皇は、もの言わぬ天皇となった。それが現在まで続いている。この時代を天皇機関法治国家と呼ぼう。明治、大正、昭和、そして現在もそうである。

武士の時代になって初めて権力と権威が分離された。それを行ったのが北条泰時である。1232年のことである。物言わぬ天皇の誕生だ。それまでは、天皇主権国家の時代、つまり天皇中心の時代であったが、武士の時代、つまり平清盛、源頼朝の時代には、成文化されたものに基づく律令制が実質的に崩れており、実態として領地争いが頻発した。そういう実態に対応して、制定された武家社会のための法律が御成敗式目である。

歴史を考える時、「もしそれがなかったら」とか「もしそういうことが起こっていたら」という「もしたら」は、意味がない。その時々の誠に複雑な事情によって、なるべくして歴史が刻まれてきたので、さまざまな歴史的出来事は最善のものであったと思う。そういう意味で、私は、歴史の必然性というものを強く感じる。御成敗式目もなるべくしてできたものと思う。
そういう観点に立った時、私は、北条一族によって源頼朝が暗殺されたのも、歴史の必然性であったと考える次第である。のちほど歴史の必然性としての源頼朝の暗殺について詳しく述べた後、御成敗式目という歴史的意義の深い法律を作った北条泰時のことを書く。

そして、最後に、日本の政治のあり方について論じる。民主主義の欠点を補う天皇の権威というものについて考えたいのだ。

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