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2016年5月27日 (金)

山地拠点都市構想(その153)

山地拠点都市構想(その153)

第6章 山地拠点都市構想の実現に向けて(29)
第4節 「美しい都市」を目指して(8)
3、街の修景(2)

まずやるべきは、景観緑三法(けいかんみどりさんぽう)にもとづいて市町村が景観計画 を作ることだ。景観緑三法は、平成17年6月1日に全面施行された素晴らしい法律であ る。第2条第3項には、「良好な景観は、地域の固有の特性と密接に関連するものである ことにかんがみ、地域住民の意向を踏まえ・・云々」と書いてあり、第4項には「良好な 景観は、観光その他の地域間の交流の促進に大きな役割を担うものであることにかんが み、・・・云々」と書いてある。私の申し上げたいことがきっちり書いてある。力強いこ とだ。念のために法文を掲げておく。
http://www.mlit.go.jp/crd/townscape/keikan/pdf/keikanhousandan.pdf

しかしながら、この法律にもとづく修景だけでは、先に述べた「風土に根ざした風景」と か「精霊に根ざした風景」については、「山地拠点都市構想」にもとづく「美しい都市」 としては不十分であるかもしれない。
私は、この本の前編の第3章「知恵のある国家とは?」の第2節「教育」の中で、中沢新 一のいう「モノ」について説明し、「 モノにはタマが 宿っている。そこが物との違いで ある。」と申し上げ、さらに「今私たちが問題にしようとしているのは、この世の問題で ある。見える世界の問題である。見える世界から見えない世界が感覚として実感できないかという問題である。だから、モノを対象にしなければならないのである。物質的な世界は当然肯定しな がらも、モノの世界をどう取り戻すことができるかが問題なのだ。モノの世界と物質的な世界との同盟、それが中沢新一のいう「モノとの同盟」で ある。」・・・と申し上げ た。そして、「モノ」というものの概念に関連して、柳宗悦の「民芸運動」について述べ た。そこで申し上げたように、「美とは何か」、「美はどこから生まれてくるか」を生涯 問い続けてきた柳宗悦の人生は、まさに「美の行者」と呼ぶにふさわしいものであるが、 彼の到達した「美の心」とは「魂」の問題でもある。そういう奥深い「美の心」もあるの だ。民芸品だけではない。そういう「魂」のこもった古いものを大事にしなければならな いというのが、中沢新一のいう「精霊万年」の意味するところである。

また、私は、私の電子書籍「霊魂の哲学と科学」の中で、岡本太郎の「美の呪力」につい て詳しく説明したが、これも魂の問題である。何でもないようなものの中にも、「魂」の 震えるような「美」があるのである。上述したように、 オギュスタン・ベルクも、「風 景のなかにコーラが象眼(ぞうがん)されていると言っているが、この文面の意味として は、一般的には何でもない風景のなかにコーラという大変な意味をもった哲学的に誠に重 要なものが嵌め込まれているのである。」と言っている。

自動車で見る景色と自転車で見る景色と歩いて見る景色は違う。景観や風景は、自動車や 自転車で感じるもの。風土や精霊は、自転車か歩くスピードでゆっくり見ないと心に感じ ることはできない。特に精霊は、歩きながら立ち止まってじっくり見ないと心に感じるこ とはできない。オギュスタン・ベルクのいう風景の中に「象眼(ぞうがん)されているも の」はそうである。

「山の霊魂」の働きが期待できる危機的市町村の中にそういう心に響くような価値ある「美」をどのようにちりばめていく かは、たいへん難しい問題だが、ここはやはり文芸家の出番であろう。「山の霊魂」の働きが期待できる危機的市町村では、できるだけ多くの文芸家に来てもらって、そこにセカンドハウスでも建てて住んでもらうのが手っ取り早いのではないか。




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