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2016年5月24日 (火)

継体天皇の謎(その51)

継体天皇の謎 (その51)

継体天皇論の重要性

戦後、現皇室は継体天皇を初代として樹立されたとする新王朝論が盛んになった。その議論については賛否両論があり、学説として定まったものではないが、継体天皇は確実に現在の皇室につながっている。記紀によれば継体天皇は応神天皇の子孫となっているので、私はそのように考えているが、記紀以外に継体天皇が応神天皇や仁徳天皇の血を受け継いでいるという歴史的証拠はない。しかし、 継体天皇は確実に現在の皇室につながっている。それは歴史的事実と考えてよい。 継体天皇以降は、天皇の血筋は断絶することなく現在まで続いてきて、現在の天皇制が成り立っているので、現在の天皇の権威は「血の権威」と言えなくもない。その「血の権威」によって天皇男系の血筋は現在まで断絶することなく続いてきた。足利義満を除いて、男系の天皇家を簒奪しようとした人は歴史上いない。

足利義満の簒奪計画は、結局、実現しないのだが、その理由は、足利義満が「血の権威」の凄さを甘く見ていたところにある。側室・日野康子との間に生まれた実子・義嗣を天皇にしようと計画していた足利義満の意図は、足利義満の死とともに砕け散り、義嗣は足利義持の命を受けた富樫満成により殺害された。足利義満の天皇家簒奪計画とその結末については、次の論文に詳しく書いたので是非お読みください。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/saeki06.pdf


天皇の権威というものを考えるとき、大事な要素が三つある。一つは「血の権威」であり、この要素がいちばん強い。二つ目は藤原不比等の深慮遠謀による記紀の編纂と天照大神の誕生であり、三つ目は北条泰時の知恵(御成敗式目)による天皇の権力と権威の完全分離である。藤原不比等の深慮遠謀と北条泰時の知恵 (御成敗式目) については、すでに書いた。

藤原不比等の深慮遠謀:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yamatai.pdf

北条泰時の知恵 (御成敗式目):http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yamamoto.html

問題は継体天皇のことである。

大伴金村は、何故継体天皇を擁立したか? 応神天皇の子孫には継体天皇までにも多くの天皇候補者が多くいたはずである。それがまず最初に抱く謎である。

日本書紀の記述では継体が507年に即位してから大和に都をおくまで約20年もかかっており、皇室(実態はヤマト王権)内部もしくは地域国家間との大王位をめぐる混乱があったこと、また、ヤマト王権は、即位当初、九州北部の地域国家の豪族を掌握できていなかったことを示唆している。このようなことを考えると、継体天皇擁立の理由は、応神天皇の血を引いているということだけではあるまい。継体天皇の朝鮮半島との繋がりが重視されたのではないか。継体天皇と朝鮮半島との繋がりの実態はどのようなものであったのか、それが次に抱く疑問である。

そのような疑問を持ちながら、継体天皇擁立の経緯、朝鮮半島の政治状況、そして朝鮮半島と継体天皇との繋がりなどを書いたのが 今回の論文である。

継体天皇の謎:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/keitai.pdf

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