« 山地拠点都市構想(その144) | トップページ | 継体天皇の謎(その44) »

2016年5月16日 (月)

老子とハイデッガー(その8)

老子とハイデッガー(その8)

老子の世界存在論(4)

(4)第25章

「 天は大なるもの、地は大なるもの。人は、地のあり方を手本とし、地は天のあり方を手本とし、天は道のあり方を手本とする。人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る。」

老子は、(2)で述べたように神というものを十分意識している。 老子という書物の多くの章は、「道」にしたがう人間の生き方、すなわち「無為自然」の生き方を書いている。しかし、天、地、神のことも書いている章がある。それらを今まで説明してきたが、この第25章は、天と地と人との関係を述べている。この人の中には当然王(最高の為政者)も含まれる。人はすべからく「道」、すなわち根源的自然、宇宙の原理にしたがうのが「無為自然」の生き方である。老子は第25章でそういう意味のことを言っている。「人は地に法」るとは、たとえば地勢に従って耕作すること、「地」は日月や四季という「天」に従って樹木などを生育させるし、「天」に秩序があるのは「道」に従うからだ。私たち人間は、大地のよって生かされている。その大地は、「天」そして「道」に従っている。となれば、私たち人間は、結局、「道」、すなわち根源的自然、宇宙の原理というものによって生かされている。「無為自然」こそ私たち人間本来の生き方である。老子は、結局、第25章でそういう意味のことを言っている。



« 山地拠点都市構想(その144) | トップページ | 継体天皇の謎(その44) »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1117507/65515411

この記事へのトラックバック一覧です: 老子とハイデッガー(その8):

« 山地拠点都市構想(その144) | トップページ | 継体天皇の謎(その44) »