« 継体天皇の謎(その38) | トップページ | 御霊信仰(その3) »

2016年5月 4日 (水)

辛亥革命と孫文

辛亥革命と孫文
これから長期的に見て、世界平和のため日本がやるべきもっとも基本的なことは、日米同盟を基軸にしながらも中国との友好親善を図ることである。真の日中友好親善のためにこれだけのことは是非日本人に知っておいて欲しいというものを取りまとめた「日中友好親善のために」という私の論文があるが、ここではその一部を紹介しておきたい。

孫文は、辛亥革命を起こし、「中国革命の父」、中華民国では国父(国家の父)と呼ばれる。また、中華人民共和国でも「近代革命先行者(近代革命の先人)」として近年「国父」と呼ばれている。明治維新への共感にもとづき日中の連携を模索した孫文にとって、日本による対華二十一ヶ条要求は「維新の志士の抱負を忘れ」、中国への侵略政策を進展させることであった。対華21ヶ条要求とは、第一次世界大戦中、日本が中華民国政府とおこなった外交交渉において提示した21か条の要求と希望のこと。二十一か条要求などとも呼ばれる(中国語版では「二十一条」)。これが孫文をして抗日運動に向かわせる原因となった。

一方、わが国において、憲政常道による議会政治が始まったのは大正十三年(1924年)であって、それから八年間は民政党、政友会の二大政党が交互に政権を握るという、憲政常道による議会政治が確立したかの加く見えた。 しかし、昭和7年(1932年)5月に5・15事件が勃発し、犬養毅が、首相官邸において、白昼、軍人によって暗殺された。犬養毅は憲政常道による議会政治の最後の首相となったのである。 それからは日本は軍人に依る恐怖政治が行われ、遂に東条英機という首相を生み出すのである。そのような民主的な政党政治の最後の総理大臣が犬養毅であって、彼の考えはある意味で国民の考えでもあったのである。だから、犬養毅が「孫文」を支援したということは、当時の国民の意思でもあったといってもけっして言い過ぎではないと思う。私達はこのことをけっして忘れてはならないであろう。歴史的な経緯から多少の行き過ぎがあったとしても、その都度、軌道修正をして、「孫文」を支援するという犬養毅の考えを貫いておれば、日中関係の歴史は間違いなく今とは変わったものになった筈である。何故犬養毅の考えを貫くことができなかったのか、大いに反省すべきことではなかろうか。

以上のような考えから書いたのが「日中友好親善のために」という私の論文の前編第3章の「辛亥革命と孫文」である。
前編第3章「辛亥革命と孫文」:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/singaito.pdf

« 継体天皇の謎(その38) | トップページ | 御霊信仰(その3) »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1117507/65310367

この記事へのトラックバック一覧です: 辛亥革命と孫文:

« 継体天皇の謎(その38) | トップページ | 御霊信仰(その3) »