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2016年4月22日 (金)

老子(その35)

老子(その35)

老子の世界化(3)

さあ、それではいよいよハイデッガーの哲学と老子の哲学との共通性について、少々長くなるが、以下に説明することとしたい。 ハイデッガーは、極めて難解な、中国の老子の「道」の思想の本質を、西洋で唯一理解した哲学者である。その両者の哲学に根本的な共通点があれば、老子の哲学に世界化の可能性があるということだし、今後、老子の哲学を踏まえて、ハイデッガーの哲学を中国や日本の思想をもとに練り上げていけば、梅原猛の言う「人類哲学」が出来上がると思う。それほどハイデッガーの哲学は、世界的に見て重要なのである。では、説明を始めよう。

現実的なもの、それは岩石、植物や動物、河川流や天候や天体のことであるが、これらの自然を成り立たせているものは宇宙の原理であり、それはハイデッガーの言う「根源的自然」の働きによる。つまり、そのような現実の自然を支えているものは根源的自然である。また、諸民族の命運、神々を支えているのも、現実の自然を支えている根源的自然と同一のものである。さて、宇宙の原理とは何か? それを老子は「道」と言っているのだが、ハイデッガーは根源的自然の「臨在」と言っている。

さあ、ここで、問題は、ハイデッガーの言う「根源的自然」は何かということである。以下に、順次説明しよう。

藤本武という新潟膏陵大学福祉心理学科教授の「ハイデッガーの自然哲学について」という論文 がある。その論文から要点を抜粋して、説明に変えたい。その論文では、次のように述べている。すなわち、

『 1927年に発表した主著「存在と時間」において、ハイデッガーは自然を「用具存在」と規定する見方と人間を「実存」と解釈する見方とを対立させ、人間存在の在り方を思惟の主たる対象とすることによって、自然を人間にとっての有用性の観点から論じて  いる。』

『 自然についての消極的な規定は近代哲学の伝統に由来するものである。(中略) 自然を物質と見る自然観、自然を制作のための死せる資料とみる自然観はすでに 古代ギリシアの自然哲学者たちの思想の中に 萌芽していたものが、デカルト によって再評価されたと言ってよいだろう。(中略) 伝統的自然観に影響されて、初期のハイデツガーは用具的自然観を展開していると思える。南ドイツのシュヴァルツヴアルト 地方の自然に包まれて育った野生者の哲学者ハイデッガーがヨーロツパ哲学全体の超克を意図しながら、初期の段階では伝統的自然観を踏襲しているところが、ハイデッガーの複雑な面であると言えるだろう。何故なら、伝統的自然観を踏襲しな がらも、一方ではそれを超える自然観を隠し持っているからである。ただ、人によっては、 ハイデツガーは基礎的存在論以来その思想を基本的に変更させていないと解釈する例も多いが、この論文ではその説は採用しない。』

『 「存在と時間」において、ハイ デッガーは「世界内存在」という概念を述べる際、 世界が自然から解釈されるのではなく 、世界から自然を実存論的に解釈しなければならないとしたことにより、世界概念が自然的概念であることを認識し、ハイデッガーにとり 自然に関するより重要な概念が、 自然を実存論的に解した用具性ではなく 、世界概念であることを示している。』

『 ハ イ デッガーにとり世界とはすべての存在者が存在者として立ち現わ れてくる存在の場所であるとされる。すべての存在者とは自然全体を指すものであり、世界とは自然が立ち現われてくる存在の場所とされている。この時点では世界と自然は同ーではないが、両者の密接な関わりも示唆され ている。』


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