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2016年4月18日 (月)

老子(その33)

老子(その33)

老子の世界化(1)

老子の言う「道」は、儒教の道とは違い、宇宙の実在のことである。すなわち、ひとつの哲学であると言って良い。儒教で言う仁義礼智(じんぎれいち)は、人間社会の道徳ではあるけれど、宇宙の実在、万物生成の原理を指し示すものではない。これに対し、老子の「道」は、宇宙の実在、万物生成の原理を指し示すものである。したがって、西洋哲学、東洋哲学などすべての哲学と学問的に比較検討ができ、今後の新たな哲学を構築する要素を持っている。老子の哲学は、西洋哲学、東洋哲学などすべての哲学と相性がいいと言っても良いのである。

実際に、トルストイとハイデッガーは、老子に傾倒していたようで、トルストイは1892年に「老子」を全訳しているし、ハイデッガーは1949年に『老子道徳経』を翻訳した。ラカンも中国人女性から「老子」を教わったと言われているが、ここではトルストイとハイデッガーに焦点を絞って、「老子」に傾倒していた様子を紹介しておきたい。

まず、トルストイが全訳したという本であるが、トルストイが日本人留学生・小西増太郎と出会い、小西増太郎の助けを得て、書き上げたロシア語の老子を日本語に訳した本を現在私たちは買うことができる。(2012年11月、ドニエプル出版)

トルストイが 小西増太郎の助けを得て翻訳に当たったときの様子が、人生朝露というブログに紹介さているので、次にそれを抜粋しておこう。

『 いよいよ、実際の訳稿の検討に入って、小西が「道の道とすべきは常の道にあらず」と読み上げると、トルストイがすぐに待ったをかけた。「支那語の 『道』という言葉を翻訳するのはよくない。英、仏、独訳とも、原語をそのまま用いている。支那読みは『タオ』であるから、これを露読の『ドロガ』もしくは 『プーチ』と訳さずに、原音を用いましょう。』といってタオとすることになった。次の句の「名の名とすべきは常の名にあらず。無名は天地の始めにして、有 名は万物の母なり」とある「名」は、「道」とは大いにその趣旨を異にするからというので「名、または無名は『イームヤ』という露語にすべきだ」と断を下し た。この一節の結句の「玄の又玄、衆妙の門」にいたって、トルストイは深い感動を示し、「この篇は実に雄大だ。老子の学説の幽遠なところは悉くここから発 するのだ」と言った。次章の「天下、皆、美の美たることを知らば、これ悪のみ。皆、善の善たることを知らば、これ不善のみ。」に対しては「この章も痛快だ が、首章には及ばない。しかし言明の仕方は老子独特で、実にいい。真似ができぬ。」と感心した。』

(『トルストイ小西増太郎共訳老子解説』より)

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