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2016年4月12日 (火)

老子(その31)

老子(その31)

老子とプラトンとの繋がり(16)
おわりに(2)

道教の研究は、北京の「中国社会科学院世界宗教研究所」の道教研究室がもっとも盛んであるが、上海、四川、江西などの社会科学院でも宗教研究に力を入れ始めたらしい。各地域の大学や研究機関、道観、道教協会などと連携をとりながら精力的に道教の研究が始まっていると考えて良さそうだ。当然、道教に関連する「宗教哲学」の研究も力強く進むと思われるので、宗教哲学としてはシヴァ教の哲学を習合して、「哲学道教」、つまり道教の宗教哲学が、多分、東洋哲学を代表するものになり、やがて「グノーシス」の力によって、西洋哲学を呑み込んでしまうだろう。

私が「日本精神と中村雄二郎のリズム論」という論文を書き、今後もさらに勉強を続けていきたいと思っているのは、もちろん日本のためを思ってのことである。しかし、ひょっとしたらそのことが中国における道教に関連する「宗教哲学」の研究のお役に立てるかもしれない。

梅原猛の「人類哲学序説」(岩波新書)という本がある。この本は、哲学、とりわけ人類哲学としては、見かけ倒れの内容の乏しい本だが、草木国土悉皆成仏という天台本覚思想に着眼した洞察力はさすが梅原猛である。

梅原猛が指摘するように、21世紀のこれから向かうべき世界文明は、生きとし生けるものすべての命を大事にする文明でなければならない。そのためには、思想的に成熟した天台本覚思想とその根拠である法華経に基づく人類哲学が必要であると梅原猛は言っているのだ。法華経は、生きとし生けるものすべてが成仏できるという。天台本覚思想は、法華経のそういう教えを引き継いだものである。人間以外の生きとし生けるものは、無心にただひたすら命を大事にして生きている。また、国土という命を持たないものも、宇宙の原理に基づいて存在しているのであるから、もし人間も宇宙の原理にしたがって生きていくのであれば、草木国土といえど、大事にしなければならないのは当然のことであろう。


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