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2016年4月 1日 (金)

継体天皇の謎(その22)

継体天皇の謎(その22)

第3章 わが国の古代朝鮮との繋がり(各論)(1)
第1節 渡来人について(1)

日本地域には多くの渡来人が来ている。渡来の波は大きく4回あるといわれる。第4の波は継体天皇の後のことであるが、それまでの実績が大きく関係しているので、以下において第4の波についても紹介しておきたい。

何故これだけの渡来人がわが国にやって来たのか、不思議な気がする。倭国と呼ばれていた時代から、いやそれ以前の時代からわが国の人びとが朝鮮半島に進出していたこと、朝鮮半島では王権の争いが激しかったこと、それにわが国の王権が関わっていたことが原因かと思われるが、渡来人を日本に引きつける日本側の魅力も大きかったと言うことであろう。

さらに王権と関係を持った渡来人以外にも、日本に渡来した人々がいた。長野県に見られる渡来人関係の遺跡などである。これなどは中央との関係では説明のつきにくいものもある。

(1)第1の波(紀元前5世紀~3世紀)

第1の波は紀元前5世紀から始まる波である。中国では戦国時代(紀元前403年に晋が韓・魏・趙の3つの国に分かれてから、紀元前221年に秦による中国統一がなされるまでをいう。)で、群雄割拠の時代を迎えていた。そのため中国から朝鮮半島に移る人が多く、さらにこれに押し出されるように朝鮮半島から日本に来た人々が多くいた。また、朝鮮半島経由でなく、中国大陸から直接、稲作の技術をもった人たちが九州にやってきた。日本はそれによって農耕を中心の弥生時代に移行した。多くの集落が稲作に適した平野の近くに作られるようになったし、富の蓄積によって権力者が誕生して日本各地にクニグニが発生したのである。そして、3世紀になって、遂に邪馬台国が朝鮮半島に進出する。


(2)第2の波 4世紀~5世紀

日本では応神・仁徳天皇など倭の五王の時代にあたる。この時期中国東北では、慕容氏が南下して、それに押されるように高句麗が朝鮮半島を南下しはじめ、新羅は高句麗の影響下に置かれた。それに押されるように日本にも渡来が増えた。この時期日本では大王はじめ各地の有力豪族は、領域内の経済的、文化的発展と政治的支配力の強化を図っていた。そのため渡来人の技術が必要とされた。4世紀後半になると、ヤマト政権は畿内から西日本へ勢力を拡大した。この中で、新羅との関係が深いとされる秦(はた)氏や、百済との関係の深い東漢(やまとのあや)氏などはこの時期に渡来して、文筆や外交に携わった。東漢(やまとのあや)氏は、秦氏と並ぶ朝鮮からの二大渡来系氏族である。東漢(やまとのあや)氏は阿知王に率いられて明日香の檜隈(ひのくま)にやってきたのである。阿知王については、私の小論文があるので、是非、ご覧いただきたい。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/asukaati.pdf


なお、秦一族の渡来は幾波もあったが、最初にやって来た時は、まだ新羅という国はなかった。その前身・斯盧(しら)という国である。その後、6世紀に新羅が建国されてからも、新羅から多くの秦一族がやってきたので、秦氏は新羅系となっているのではないかと思われる。

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