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2016年4月28日 (木)

継体天皇の謎(その34)

継体天皇の謎(その34)

第3節 ヤマト王朝と朝鮮半島との繋がり(7)
(3)葛城襲津彦について(1)

葛城襲津彦は、葛城王朝の誕生の経緯を明らかにするためには欠かすことのできない人物である。したがって、以下において、その時代考証も含めて、葛城襲津彦についていろいろ検討することとしたい。

まず、ウィキペディアでは、次のように書いている。すなわち、

『 葛城襲津彦は、4世紀末から5世紀前半頃の人物と推定されるが、記紀等に伝わる古代日本の人物である。武内宿禰の子で、葛城氏およびその同族の祖とされるほか、 履中天皇(第16代)・ 反正天皇((第17代)・ 允恭天皇(第18代)の外祖父である。対朝鮮外交で活躍したとされる伝説上の人物であるが、『百済記』の類似名称の記載からその実在性が指摘される。』・・・と。

この説明にある「葛城襲津彦は4世紀末から5世紀前半頃の人物と推定される」という記述を、説明の都合上「 葛城襲津彦は400年頃の人物と推定される」と言い代える。

履中天皇(第16代天皇)・ 反正天皇(第17代天皇)・ 允恭天皇(第18代天皇)は、継体天皇(26代天皇)の死没が531年だから、それ以降の天皇であることは間違いなく、仮に550年頃の天皇だと考えてみると、その孫の代というのはおおむね480年頃だと思われる。すなわち、 履中天皇(第16代天皇)・ 反正天皇(第17代天皇)・ 允恭天皇(第18代天皇)の外祖父の葛城氏が生きていた時代というのは、5世紀後半より前とは考えにくい。したがって、 履中天皇(第16代天皇)・ 反正天皇(第17代天皇)・ 允恭天皇(第18代天皇)の外祖父の葛城氏というのは、葛城襲津彦ではない。

また、前項(2)述べたように、武内宿禰、すなわち 五十跡手(いとて) は、卑弥呼の時代における朝鮮半島からの渡来系の人物であり、2世紀の人である。上のウィキペディアの記述において、葛城襲津彦が武内宿禰の子であるという記述と4世紀末から5世紀前半頃の人物であるという記述とは、全く矛盾している。上のウィキペディアの記述を「葛城襲津彦の祖先は武内宿禰の子である」と書き換えれば、その矛盾は無くなる。


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