« 明日香と阿知王 | トップページ | 老子(その35) »

2016年4月22日 (金)

継体天皇の謎(その30)

継体天皇の謎(その30)

第3節 ヤマト王朝と朝鮮半島との繋がり(3)
(1)秦一族について(3)

日本書紀に史実を書けば藤原不比等の創作した正史の構造が崩れてしまう。したがって、藤原不比等は、史実をひた隠しに隠して、天照大神を始めとした神話の物語を創作した上で、神武天皇など架空の天皇を創り出し、万世一系の天皇物語を創作したのである。大伴氏と秦氏は継体天皇擁立の立役者である。日本書紀では、大伴氏を継体天皇擁立の中心人物と書きながら、その先祖を神話の時代の渡来としている。しかし、日本書紀では秦氏の祖先については触れていない。史実としては、秦氏の渡来の波は幾重もあり、日本書紀でいう神代の時代の渡来もあった筈である。では、藤原不比等が、大伴氏のように、神話の時代の渡来としなかったのは何故か? 秦氏は、大伴氏とは違って、応神天皇の重臣であり、その事実を隠すことができなかったとしても、その他の史実をひた隠しに隠したのである。それは上述のように、万世一系の天皇物語を創作するためである。
秦氏と大伴氏はともに大和朝廷の重臣であり、ともに力を合わせて応神天皇と継体天皇の擁立に努力した。したがって、秦氏を理解する上で、大伴氏を理解しておくことは重要である。秦氏と大伴氏との違いは、応神天皇擁立の主役は秦氏で大伴氏はサブ。継体天皇擁立の主役は大伴氏が主役で秦氏はサブ。継体天皇即位後、しばらくして、蘇我氏が台頭し、秦氏は聖徳太子の重臣であったために存続が危なくなったが、大伴氏は、蘇我氏とは一定の距離を置きながらも良好な関係にあり、そういうことはなかった。

秦一族には、波田氏、羽田氏の他に、犬上氏、息長氏、安氏などがいる。犬上氏、息長氏、安氏はともに、近江は琵琶湖の東岸に拠点をもった豪族である。特に、安氏は、野洲川流域にあって、邪馬台国の時代からそれなりの勢力をもった豪族であり、葛城王朝誕生の秘密を解く上でその鍵となる豪族である。
野洲市には大岩山古墳群がある。その場所は、現在、野洲市の民俗歴史博物館のある辺りである。 最大の特徴は、野洲川流域を支配した有力首長墓が、古墳時代初期~飛鳥時代にかけて、系統的に造墓が確認され、後に「安」氏と呼ばれる豪族たちの古墳群だと考えられている。日本書記や古事記から古代のヤス(現在の守山市と野洲市の周辺)には、安直(やすのあたい)氏という古代近江を代表する豪族がい たことが分かっている。円山・甲山古墳から出土した豪華な品々とから、安氏が三輪王朝もしくは葛城王朝に仕え、やがては大和朝廷に仕えたと考えられている。大岩山古墳群は、弥生式時代終末の大岩山銅鐸群(21個)の埋納地にも隣接しているので、卑弥呼との関係が伺われ、安氏が仕えたのは、葛城王朝ではなく三輪王朝だと考えられくもないが、私は、安氏が秦一族であったこと、秦一族の大和における根拠地が葛城であったことを考え合わせ、安氏が仕えたのは葛城王朝だと考えている。いずれにしろ、安氏という豪族は、卑弥呼の時代(2世紀)からの豪族であって、当初はどうであったか判らないとしても、その後、秦氏とは血縁関係を結び、秦一族になったということが重要である。秦氏の近江における本拠地は愛知川流域・愛荘である。そこに隣接して犬上氏、やや離れて息長氏の本拠地がある。犬上氏も息長氏も秦一族であり、秦氏は、勢力拡大のために近江の豪族と積極的に血縁関係を進めたのであろう。 多賀大社の近くに、犬上君の古墳と思われる 荒神山古墳がある。また、米原の近くには、息長氏の古墳と思われる 息長古墳群がある。

« 明日香と阿知王 | トップページ | 老子(その35) »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1117507/65111234

この記事へのトラックバック一覧です: 継体天皇の謎(その30):

« 明日香と阿知王 | トップページ | 老子(その35) »