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2016年3月22日 (火)

継体天皇の謎(その18)

継体天皇の謎(その18)

第2章 わが国と朝鮮半島との繋がりの歴史について(11)
第2節 古代朝鮮の歴史について(概論)(7)
4、加羅と倭人(2)

(5)中国正史の記録
中国の正史には倭国の領域に関して次のように記されている。
魏志倭人伝
「(帯方)郡より倭に至るには海岸にそって水行、韓国を経て、南へ行ったり東へ行ったりしてその北岸(倭国の北岸)の狗邪韓国に到ること七千余里。はじめて一海をわたり千余里で対馬国に至る」
魏書東夷伝韓条
「韓は帯方郡の南にあり、東西は海を限界とし、南は倭と接し、四方は四千里ばかり。韓には三種あり、一に馬韓、二に辰韓、三に弁韓。辰韓とは昔の辰国のことで馬韓は西にある」

魏書弁辰伝によると、辰韓と弁韓は、風俗や言語が似通っていたという。土地は肥沃で、五穀や稲の栽培に適していた。蚕を飼い、縑布を作った。鉄の産地であり、韓、濊、倭などが採掘していた。市場での売買では鉄が交換されており、それは中国での金銭使用のようであった。また倭人とも習俗が似ており、男女とも入れ墨をしていたとある。武器は馬韓と同じであった。礼儀がよく、道ですれ違うと、すすんで相手に道を譲った。

『後漢書』東夷伝倭人条
「倭は韓の東南、大海中の山島によっており、およそ百余国ある。武帝が衛氏朝鮮を滅ぼしてから、三十余国が漢に使訳を通じてきた。国では皆が王を称するこ とが代々の伝統である。そこの大倭王は、邪馬臺国に居する。楽浪郡の境界から、その国(邪馬台国)までは一万二千里、その西北界(邪馬台国の西北界)の拘邪韓国から七千余里。その地はだい たい会稽郡東冶の東にあり、朱崖や儋耳と相似しており、その法俗も多くが同じである」。

いずれも狗邪韓国を倭国の西北界と記述している。そして、狗邪韓国は韓と陸続きであり、対馬とは海を隔てていることになる。これは、狗邪韓国が朝鮮半島南端部にあったことを意味し、同時に狗邪韓国は倭の支配領域であったことになる。実際に朝鮮半島南端部では倭系遺物(銅矛・弥生式土器)などが多量 に出土している。このことも倭の支配地だったことを裏付けている。歴史時代に入っても朝鮮半島南端部は加羅国、伽耶国などと呼ばれ、任那日本府があったと 日本書紀にも記述されている。
この狗邪韓国の存在は三世紀邪馬台国の時代ことである。一般にはこれより後の時代になって、朝鮮半島南端部が倭国に所属するようになったと言われているが、中国正史の記録は三世紀時点で朝鮮半島南端部が倭に所属していたことを示している。中国正史の記録は倭に所属した直後であるような表現が見られないので、三 世紀よりはるか前に朝鮮半島南端部は倭に所属していたことになる。

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