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2016年3月28日 (月)

継体天皇の謎(その19)

継体天皇の謎(その19)

第2章 わが国と朝鮮半島との繋がりの歴史について(12)
第2節 古代朝鮮の歴史について(概論)(8)
4、加羅と倭人(3)

(6)韓国人に不都合な半島の歴史 (拳骨拓史著 による)
韓国の王墓から日本のモノが出土するのは、1971年の宗山里古墳群で発見された百済の第25代王、武寧王(ぶねいおう)(462~523)の墓が有名でああろう。
武寧王は高句麗からの圧力をくいとめ、南方では百済の支配力を強化するなど、国力の充実に努めた国王であった。513年には日本に五経博士を送るなど、活発な外交を展開したことでも知られている。
この王墓からは、棺材が日本にしか自生しないコウヤマキで作られていることが判明し、大きな話題となった。
青銅器は日本において、朝鮮半島より弥生時代前期末から中期初頭にかけて伝来したと考えられ、明らかに半島のものと異なる青銅器についても、朝鮮半島から渡来した工人がつくったものと理解されてきた。

だが、1917年に慶尚南道金海で日本製の中広銅鉾が発見されたほか、現在、釜山市の東亜大学校博物館が所蔵する多くの銅鉾が、日本製であることが明らかになっている。
また韓国から伝来した小銅鏡は、北九州などで出土しているが、朝鮮半島でも日本の銅鏡が出土し、釜山大学校や韓国国立慶州博物館などに所有されている。
朝鮮半島で出土する日本の鏡は、九州の弥生時代後期中頃には製作さていたものであった(小田富士雄・武末純一「日本から渡った青銅器」、韓炳三編「日韓交渉の考古学・弥生時代篇」所収、六興出版)。
じつはこのことは、韓国史を紐解くと、不思議なことではないことに気付く。

韓国の新羅建国に関わった、 瓠公 (ここう)という人物がいる。彼は日本人であるとされ、腰にひょうたんをぶら下げて海を渡ってきたから、 瓠公 (ここう) と呼ばれたという。

(7)瓠公(ここう)
瓠公(ここう)は、新羅の建国時に諸王に仕えた重臣。また金氏王統の始祖となる金閼智を発見する。もとは倭人とされる。新羅の3王統の始祖の全てに関わる、新羅の建国時代の重要人物である。瓠(ひさご)を腰に下げて海を渡ってきたことからその名がついたと

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