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2016年3月 9日 (水)

継体天皇の謎(その16)

継体天皇の謎(その16)

第2章 わが国と朝鮮半島との繋がりの歴史について(9)
第2節 古代朝鮮の歴史について(概論)(5)
3、 新羅

中国政府のシンクタンクである中国社会科学院は新羅について「中国の秦(紀元前778年~紀元前206年)の亡命者が樹立した政権」であり、「中国の藩属国として唐が管轄権を持っていた」と記述している。また、中国の歴史学者の李大龍は、新羅の前身である辰韓は秦韓とも呼ばれ、中国の秦の人が建てた国だから、新羅は中国民族が建てた国だと主張している。

なお、『後漢書』辰韓伝では、以下のように記載される。
辰韓、耆老自言秦之亡人、避苦役、適韓國、馬韓割東界地與之。其名國為邦、弓為弧、賊為寇、行酒為行觴、相呼為徒、有似秦語、故或名之為秦韓。
辰韓、古老は秦の逃亡者で、苦役を避けて韓国に往き、馬韓は東界の地を彼らに割譲したのだと自称する。そこでは国を邦、弓を弧、賊を寇、行酒を行觴(酒杯を廻すこと)と称し、互いを徒と呼び、秦語に相似している故に、これを秦韓とも呼んでいる。

『三国志』魏書辰韓伝では、以下のように記載される。
辰韓在馬韓之東、其耆老傳世、自言古之亡人避秦役來適韓國、馬韓割其東界地與之。
辰韓は馬韓の東、そこの古老の伝承では、秦の苦役を避けて韓国にやって来た昔の逃亡者で、馬韓が東界の地を彼らに割譲したのだと自称している。
『晋書』辰韓伝では、以下のように記載される。
辰韓在馬韓之東、自言秦之亡人避役入韓、韓割東界以居之、立城柵、言語有類秦人、由是或謂之為秦韓。
辰韓は馬韓の東に在り、苦役を避けて韓にやって来た秦の逃亡者で、韓が東界の地を割譲したので、ここに居住したのだと自称している。城柵を立て、言語は秦人に類似しているため、あるいはこれを秦韓とも言う。
これらの中国資料によると、新羅は古くは辰韓=秦韓と呼ばれ、秦の始皇帝の労役から逃亡してきた秦人の国という。
また、『北史』新羅伝には、
新羅者、其先本辰韓種也。地在高麗東南、居漢時樂浪地。辰韓亦曰秦韓。相傳言秦世亡人避役來適、馬韓割其東界居之、以秦人、故名之曰秦韓。其言語名物、有似中國人。
新羅とは、その先は元の辰韓の苗裔なり。領地は高句麗の東南に在り、前漢時代の楽浪郡の故地に居を置く。辰韓または秦韓ともいう。相伝では、秦時代 に苦役を避けて到来した逃亡者であり、馬韓が東界を割譲し、ここに秦人を居住させた故に名を秦韓と言う。その言語や名称は中国人に似ている。
との記述がある。
また水谷千秋は、辰韓の民の話す言語は秦の人に似ており、辰韓は秦韓とも呼ばれていたため、実際に中国からの移民と考えて間違いない、と述べている。当初は様々な書き方をしていたのを6世紀に正式に「新羅」という表記に統一した。
つまり、新羅の前身となった国は、さまざまな名称で呼ばれたが、その国は、秦の時代( 紀元前778年~紀元前206年 )の建国と考えられているので、邪馬台国よりもっと古い紀元前という時代に、 6世紀に新羅となるその地域には中国からの移民があったのである。新羅の前身となった国は、当初は秦韓と呼ばれ、のちに斯盧国と呼ばれ、新羅建国の直前は辰韓と呼ばれていた。

斯盧国は、4世紀の始めに、国境を接していた伽耶(加羅)を吸収したことが知られているが、加羅は、朝鮮半島における倭国の北端である『三国志』魏書東夷伝倭人条の項目(魏志倭人伝)における狗邪韓国(くやかんこく)の後継にあたる金官国を中心とする地域、三韓の弁辰、弁韓および辰韓の一部、馬韓の一部(現在の全羅南道を含む地域)を含むと看做すのが通説である。右の図は、斯盧国が伽耶(加羅)を吸収する直前の図である。
この図で新羅とあるのは誤りで、4世紀の初め頃は、斯盧国と呼ばれていたので、図の新羅は斯盧(しら)と読み替えて欲しい。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/keitai02.pdf

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