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2016年3月28日 (月)

老子(その27)

老子(その27)

老子とプラトンとの繋がり(12の2)
ニーチェとブラトン(3の2)

ニーチェはギリシャに憧れたのではない。東洋に憧れたのだ。そして、 酩酊と陶酔のダンスを伴う「マニア」だけでなく、性愛に結びつくエロチックな「マニア」にも憧れを持っていたと私は思う。その理由は、ニーチェの哲学は「命の哲学」であり、性愛を人類のため種の保存のためと考えていたらしいからである。ニーチェの憧れていた東洋の宗教の源流にシヴァの神がいるが、それはまさに「性愛の神」である。「性愛の神」、これはプラトンのいう「コーラ」も同じようなものである。

つまり、ニーチェとプラトンは、「性愛の神」が念頭にあったという点で繋がっているのである。

コーラは子宮(マトリックス)であると言われているが、日本の宿神もミシャグチも子宮である。シヴァ教に見られるような 性愛に結びつくエロチックな「マニア」 は、ギリシャではアポロンの影響をうけて野性味が削がれて、かなり理性的なものになっていたようだ。それが「エロスの神」である。「エロスの神」は、性愛の神でもあるが「愛」の神でもある。「エロス」については私の論文があるので是非ご覧いただきたい。

その論文の第3章の中で、私は、「エロスとは偉大な神霊である。なぜなら、すべて神霊的な者は神的な者と滅ぶべき者との中間にあるからです。 こういう神霊はもちろんその数も多くまたその種類もさまざまであります。ところがエロスもまたその一つなのです。」と書いたが、プラトンが言っている神霊は、まさに中沢新一のいうスピリットそのものである。

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